自分の都合だけ考えて行動しても結果は得られない
最初にお断りしておくと、私は経済問題に限ってだけの内閣官房参与であり、以下の話は、100%私個人の見解である。
私はゲーム理論をしばしば利用する経済学者である。ゲーム理論は人間社会を科学的に理解することを目的として生まれた学問であり、本来は政治を含めた社会の多くの分野で活用されるべきものだ。
ところが、現実社会で活用が進んでいるのは主に経済の分野で、実際に政治に関わる人たちはゲーム理論に理解がない。先日、米国の外交問題評議会に呼ばれたので、「ゲーム理論と外交の関係についてお話ししましょう」と提案したところ、「ゲーム理論という言葉を口にした途端、誰も聞いてくれなくなります」と、瞬時に却下されてしまった。
米国では大学の政治学課程でゲーム理論は教えられているが、数学的で難解だと受け取られている。複雑な理論追求に没頭するゲーム理論の専門家に罪がないわけではないが、本場である米国の政治の専門家ですら、アレルギーを持っている。
そこで、ゲーム理論を国内外の現実に引き寄せて簡単に解説しよう。
ゲーム理論では、社会を構成する人間や、企業・国家といった集団を、ルールに従って行動するプレーヤーとみなす。プレーヤーは様々な局面で互いに競い合っているが、一方で互いに協力もできる存在である。
完全競争状態を想定する古典的な経済学では、市場のプレーヤーは互いに影響を与えないものと仮定されている。しかしゲーム理論では、複数のプレーヤーそれぞれがお互いに影響を与え合うものと考える。
私が専門とする金融政策の世界でも、ある国が金融緩和を行えば、変動制の世界ではその国の為替レートが下落し、貿易相手国にとっさには悪影響を与える(昨今の議論で往々に理解されていないか、無視されているのは、米国の金融緩和からの出口での利上げが、実はドルと変動制をとる欧州や日本には、反対に拡張的な影響をもたらすということである)。こうして見ると、金融政策を行っている諸国は、まるで将棋や囲碁を戦わせているように、相手の着手によって自分の着手を調節しているのである。
日本銀行のゼロ金利政策の決定にしても、世界市場全体の悲観ムードに日銀が対処したわけだが、これに対して、たとえば欧州中央銀行がどう応じるか、という相互関係で考えるのがゲーム理論的な考え方である。
ゲーム理論の創始者フォン・ノイマンは、「人間社会は競争と協力のバランスで成り立っている」と考え、「他の相手の出方を見ずに、自分の都合だけを考えて行動しても、思うような結果は得られない」という。複数のプレーヤーが互いに競争と協力の関係を持っている点では、国際政治も同じ。各国政府は、自国の利益を最大化することを目的として外交戦略を立てる。ゲーム理論を応用しやすい領域である。