孔子は「傲慢でケチ」を戒めた

論語に「もし周公の才の美ありとも、驕かつ吝ならしめば、その余は観るに足らざるのみ」とあります。

驕(きょう)とは傲慢なこと、吝(りん)とはケチなことです。孔子が最も尊敬したといわれる周公旦(たん)のような多くの才能を持っていたとしても、傲慢でケチであれば、その他のことを見定める必要はないという意味です。

孔子は、それほど傲慢でケチであることを戒めたのです。

孔子が最も尊敬する周公と舛添要一東京都知事を比べるのは、周公に大変失礼なことですが、舛添知事の公私混同ぶりには、東京都民として腹が立つということを通り越して、とても恥ずかしい気持ちです。

このような人がリーダーであってはいけないのですが、本人は「第三者」から「不適切だが法律的には問題がない」というお墨付きをもらって、居座るつもりでいるようです。

政治資金規正法というザル法では資金使途についての違法性を立証するのは難しく、第三者の法律家を利用することで、最初から法律的なお墨付きを狙っていたのでしょう。

このような状況が続くのなら、私たちは来月の参院選や次回の都議選で舛添氏を支持している(少なくとも本気で糾弾しない)自公に何らかの評価を下さなければならないでしょう。

都知事の公私混同にこれ以上の行数を使うのは時間のムダですし、この連載の趣旨ではありません。あくまでもビジネスマンの方たちに示唆をお与えするのが本旨です。

私は、経営とは(1)企業の方向付け、(2)資源の最適配分、(3)人を動かすという3つがその本質だと思っています。(1)の方向付けの実践はとても難しいのですが、(2)の資源の最適配分も、社員10名の小さな会社を20年間経営してきてきた私自身、とても難しいと思っています。

頭の良い人は、方向付けが適切にできれば、それに合わせてヒト、モノ、カネなどの資源をそれに応じて配分することができると考えるかもしれませんが、そういう人は実際に経営をやったことのない人です。