飛び込む機会を見極める力が曹操を覇者にした
日本では横並び主義が尊ばれ、どちらかと言えば隣の人と違うこと、同じ要素を持たないことを蔑む風潮が強いのではないでしょうか。それは多くの若者、大人にも劣等感を植え付けます。しかし曹操の人生が示すことは、劣等感こそがその人に独自性を芽生えさせ、正しく方向付けをしてやりさえすれば、他者と違うことに果敢に挑戦する巨大な推進力となることです。劣等感を持ったことを卑下せずに、むしろそれを幸運と考えて、自分にプラスとなるように「巨大なエネルギーを」使いこなすべきなのです。
もう1つ、曹操が他の群雄に比べて賢明だった点に、兵法書の活用法の違いがあります。兵法書と言えば「戦うこと」、特に戦って勝つことを主眼として説いていると考えがちですが、実はそれは兵法書のレベルの低い使い方なのです。
王芬という人物は、中央政府の腐敗を見てクーデターを計画します。現在の地位にある皇帝を廃位にして、合肥候を新たな皇帝に立てるべく、この計画を曹操に話して仲間に引き入れようとしたとき、曹操は次のように反論して仲間に加わることを拒否します。
*下記の昌邑王は、かつてクーデターが成功した時の皇帝で、曹操は歴史上の故事を用いて現状との比較をしています。
「昌邑王は即位後日が浅く、まだ貴族寵臣の与党はなく、朝廷には直言の臣乏しく、発議は側近から出ておりました。それゆえに計画は球を転がすように円滑に実行され、行動は朽木をくだくようにたやすく成功したのです」
「今、諸君らはいたずらに先例の容易さに目をうばわれ、現在の困難さを見きわめていないのです。諸君、よく自分で検討してみてください。民衆との結びつき、仲間との連合は、七カ国の場合と比較してどうですか。合肥候の高貴さは、呉・楚とどちらが上ですか。それなのに非常行動を起し、必勝を期待するのは、危険ではないでしょうか」
(いずれも『正史三国志魏書』より)
曹操の予想通り、王芬のクーデター計画は未遂で失敗し、王芬は自殺します。