超完璧主義者の稲盛和夫氏と、超合理主義者の鈴木敏文氏。少年時代は「ガキ大将だった」という稲盛氏と「極度のあがり症だった」という鈴木氏。対照的な性格の2人だが、2人の軌跡や人生哲学は不思議なほどに共通する。

企業再建

▼信念を持てば自ずと道は開ける

──稲盛さんはJALの再建、鈴木さんは米サウスランド社の再建に成功しています。なぜ、困難に挑戦し、やり抜くことができるのでしょうか。

【鈴木】JALの再建では、やはり、社員の人たちが稲盛さんの使命感に打たれたのではないでしょうか。

【稲盛】それも大きかったかもしれませんね。

【鈴木】あのときはマスコミも、うまくいくのだろうかと否定的でした。批判の中にはよく、的はずれなものも見うけられます。私の場合も、なんでわかってくれないのだろうと思うことがあります。

【稲盛】私もけっしていい気分ではありませんが、世の中、そういう人もいるんだろうなと思っています。

▼もうだめだ、とは思ったことはない

【鈴木】稲盛さんも振り返ってみて、そのときそのときで大変なことがたくさんあったでしょう。ずっと仕事をしていて、これはだめだ、投げ出したいと、思われたことはありましたか。

1984年5月、第二電電企画の設立パーティーでの写真。右から2人目が、稲盛和夫・京セラ社長(当時)。52歳。

【稲盛】それはあまりありません。つらいことはいくらでもありましたが、歯を食いしばって頑張ってきました。

【鈴木】私も1つ1つは大変でした。セブン-イレブンで弁当やおにぎりを販売したときも、「家でつくるのが常識で売れるわけがない」と反対されたのを、「日本人の誰もが食べるからこそ、味を追求すれば売れる」と押し切って発売したものの、最初は1店舗で1日5個か10個か売れればいいほうで、ほとんど売れませんでした。

でも、もうだめだとか、行き詰まったとかは、不思議と考えませんでした。なんとかなるはずだとわりと楽観的でした。おにぎりは今では年間20億個売れます。

【稲盛】私はセブン-イレブンが大好きで、おにぎりもよく買います。先日も散歩がてらお店に寄って、スパゲティのミートソースを買って帰ったら、うちの電子レンジが故障中で、近所の娘の家で温めてもらって食べました。

【鈴木】ありがとうございます。