考えてみれば、どんな仕事でも、人目に触れる時間よりも、それまでの準備の時間のほうが長い。その間の精励ぶりは、誰が見るわけでも、褒めてくれるわけでもない。
パン職人さんだったら、パン生地をこね、オーブンで焼くその時間は大切だが、誰かが見ているわけではない。小説家が文章を紡いでいる時間も、孤独である。アスリートが脚光を浴びるのはほんの僅かな時間で、そのために、延々と続く練習がある。
ビジネスのプレゼンテーション用の資料を作っている時間は孤独だが、そのときの作業の質が、成否を決める。聴衆のいない世界で雅楽の演奏をされる楽部の方々が精魂を込める。それは、私たちの日常から遠い世界のようで、案外つながっているように思う。
東儀秀樹さんの言われる雅楽師の練習の仕方が、また興味深かった。例えば篳篥(ひちりき)を奏でる場合、実際に演奏をする前に、先生が口ずさんで、その通りに口ずさむことから始めるのだという。演奏をする前に、ハミングで音楽を覚えるというのである。
千数百年にわたって受け継がれてきた伝統が、まずは口ずさむという「身体性」を通して習得されていく。そこには、長年にわたって守られてきた一つの叡智があるように感じられた。
故きを温ねて新しきを知る。日本の中心で、今でも受け継がれている伝統がある。その努力を日々続けていらっしゃる宮内庁楽部の方々に心からの敬意を表する。新しいものを創造するためにも、時には古来の伝統に触れたいものだ。