先日、ラジオの収録で雅楽師の東儀秀樹さんにお目にかかった。

東儀さんといえば、奈良時代から続く雅楽の家(楽家)にお生まれになり、宮内庁楽部に入られた後、アルバム『東儀秀樹』で一挙にスターになった方である。

実際にお話ししてみると、まさに「プリンス」とでもいうべき格調高いお人柄で、雅楽、そしてそれを通して見えてくる日本文化についての造詣の深さに、教えていただくことが多かった。

雅楽の演奏会の様子。(写真=Getty Images)

何しろ、雅楽といえば、ふだんはあまり接することのない世界。宮内庁の楽部の方々も、どのような活動をされているのか、知識がない。一から教えていただくつもりで、あれこれとお聞きしていた。

驚いたのが、雅楽の演奏の持つ意味である。雅楽は、神さまにお聴かせする音楽なので、聴衆の存在を前提としていないのだという。

「だいたい、夕方6時くらいから始めて、午前0時くらいまで、音楽を奏でたり、舞ったり、歌ったりするのです」

「えっ、その間、楽部の方以外は誰もいらっしゃらないのですか?」

「はい。奏でているうちに、天から神さまが降りていらして、しばらく一緒に音楽や舞をお楽しみになられて、それから、また天に昇っていかれます。私たちは、その時間の経過の間、心を込めておつとめするのです」

東儀秀樹さんがそのようなことをおっしゃるのを聞いていると、まるで、現代の喧騒を離れた悠久の時の中に自分がいるような、そんな気持ちになってくる。

誰かに聴かせることを前提に音楽を演奏するのが現代の考え方であるが、雅楽は、そのような発想を超越している。そんな特別な世界のことだからこそ、かえって、誰にでも参考になる普遍性があるのではないかと私は感じた。