「手術の無駄をなくす」ことは患者のメリット
以前、将棋の羽生善治名人(王位、王座、棋聖)と対談したことがあります。羽生名人は『捨てる力』(PHP文庫)という本の中で、次のように書いています。
<洗練されるとはどういうことか。それは、無駄をなくすこと。完全に無駄がなくならないと絶対に美しくはなりません。
美しい手を指す。美しさを目指すことが、結果として正しい手を指すことにつながると思う>
心臓外科医の世界もその本質は同じで、羽生名人の言葉には大いに共感しました。私の中では「美しさ」は最優先ではありませんが、自分が執刀医となって以来ずっと、「手術の無駄をなくす」ことに徹底して取り組んできたからです。事前の画像診断を丁寧にしてしっかり事前準備を行い、想定外のことが起こる危険性を減らして無駄をなくし、チーム全体が努力したことで手術時間は年々短縮されています。その結果、かつては考えられなかったような高齢者や合併疾患がある患者さんにも安全かつ迅速に手術が実施できるようになってきました。「無駄をなくす」努力によって、より多くの患者さんに貢献できるようになったのです。
羽生名人は、対局中、「次の一手」を考えるとき、自分の頭の中のファイルをめくっていくそうです。私も、手術中に想定外のできごとや難しい局面に遭遇すると、過去に手術をした患者さんの手術場面が瞬時に浮かび、進むべき方向性が導き出されます。どれだけたくさんの引き出しを持っているか、そして、膨大なファイルの中から的確な答えを瞬時に導き出せるのかが、プロフェッショナルの資質であり共通点なのかもしれません。また、羽生名人が、何かあると詰め将棋の原点に戻るというのも、私たちが医学の文献を検索して突破口を探す作業と似ていると思います。
ただ、生死を扱う医療と将棋の世界が決定的に違うのは、患者さんの生死がかかっていることです。心臓外科医にとって負けとは患者さんの死を意味しますから、絶対に許容できることではありません。患者さんの命を守る覚悟を持った若者にこそ、医師、プロフェッショナルの外科医を志してほしいと思います。