川崎の安いホテルで明け方まで続いたコンパ

【広報】何があったのですか?

【専務(京セラ)】私が「どこの安ホテルでもいいので、畳の上で車座になって夜通しの“コンパ合宿”をしたいとお願いしたら、野村さん(意識)が一生懸命に探してくださって。決まった場所が、川崎の安いホテル。今はもう倒産してなくなった(笑)。部屋の椅子とテーブルをどかして借りてきた畳を敷き詰めてね。夜8時から明け方4時まで延々続いた。稲盛さんを交え、ひとつ屋根の下で時間をかけて熱い話ができた。信頼関係がよりいっそう深まりました。

【常務(2)】私はリーダー教育やコンパなどを通じて、常に「人間として何が正しいのか」という判断軸で行動する稲盛さんを心から尊敬するようになりました。フィロソフィが腑に落ちたんです。稲盛さんのJALトップ就任を巡っては「晩節を汚す」と周囲から反対を受けていたと聞きました。客観的に見れば、稲盛さんにとってJAL会長職は全くメリットがない。にもかかわらず、JALが2次破綻すると日本経済に甚大な影響を及ぼしてしまうなど、会長としてJAL再建を引き受けることには大義がある、との理由から承諾した。自分の都合ではなく、「人間として何が正しいのか」という軸で判断し、そのことに全力を尽くしている。80歳を超える高齢でありながら献身的に尽くす姿に私たちは心打たれたのです。

【整備(1)】社員は稲盛さんに叱られているうちにJALになかった「世間の考え方・常識」の重要性を感じ、従来の官僚的な体質を反省するきっかけをつくってもらったのではないでしょうか。

▼毛嫌いされ、ぎこちない空気のなかで始まったコンパ。だが、1000円を出し合って缶ビールにスルメで腹を割って語り合ううちに、稲盛の周りに二重三重の輪ができる日や、京セラなどで稲盛が講演したDVDを見て自主的に勉強する役員なども現れた。前出文書「心の経営」で稲盛は語っている。「ある日のコンパで一番抵抗していた役員がやってきて『私の考えは間違っていた。子供の頃に親や先生に習ったような基本的なことが全くできていなかった』と言い出した」

抵抗や反発という衝突の時代を経て、JAL社員はその“異物”を咀嚼し理解するようになった。なぜ、数万人の大所帯で短期間のうちにそうした劇的な化学変化を起こしえたか。専務(京セラ)・大田が座談会で発した言葉のなかには、その核心部分があった。