老舗企業に見る「家族の絆」

経済学の教科書では、経済の基礎単位は一人ひとりの個人だと教える。家族は、たまたま消費単位としてあるだけで、経済の基礎単位は結局のところ個人に分解して考えて差し支えないとされてきた。

現実の動きを見ても、先進諸国において、大家族から核家族へと社会の姿は大きく変容した。日本はその典型で、戦後まもなくのときには、1家族あたりの家族数は5人を大きく超えていたのだが、今では2.5人と家族規模は半分になっている。1つには、まさに市場化が本格的に作動し始めた結果かもしれない。市場化は、家族を分解し、バラバラの個人に変える!

ただ、日本や東アジアのように独特の家族文化をもつ地域では、そうした市場化が無限定に進むようには思えない。家族の力が寄り集まらないと生活できなかった経済から、家族が1人ひとりバラバラになっても生活していけるくらいに経済が進展し豊かになっただけで、世帯は分かれても、近くに密に連絡しあって住む大家族は少なくない。

そうした「家族の絆」が地域の経済を支える話は、あちらこちらで聞く。先日も、東京銀座の有名店を訪ねるテレビ番組があった。見ていると、慶応大学を出て家業を継いで紳士服店をやっておられる店主さんや、同じく慶応大学を出て理容室をやっておられる店主さんが紹介されていた。彼らは、経営者として社長室におさまっているわけではなく、現場に出て、実際にお客さんの寸法を測ってパターンをとったり、あるいはお客さんの髪を刈ったりしていた。

こんなケースは東京銀座の有名店だけではない。都会の大学を出て、その後、地元に戻って家業の店を継いでいる人は、日本各地にいっぱいいる。子供たちは、東京の大学に行っても、そちらで就職せずに、地元に戻ってきて家業の商店を継ぐ。日本各地にある老舗は、こうした「家族の絆」の表れにほかならない。

「家業としての商売が老舗となって続くのは、地域一番店の恵まれた店だけだ」という意見は、そうかもしれない。だが、1つの店で家族を支えることが難しければ、さまざまな商店・事業を兼業することで、家族は適応する。1つの小商店で家族の生活を賄いきれないと思えば、他の商品を扱う商店、駐車場、不動産経営などの事業を兼業する。その意味で、兼業とは、まさに市場化の大きい波に対抗する日本の家族の知恵の表れにほかならない。

家業の商店を引き継ぐことを通じて、あるいは兼業経営を通じて、家族の絆が維持される。そして、こうした家族の絆は、たんに1つの家族を超えて、地域の経済を維持する力となる。この20年ほど、地方の疲弊がささやかれて久しい。さすがの日本の家族力をもってしても、地域の経済を支えることは難しいということなのかもしれない。しかし、そうだとしても、地域の経済を下支えするのは家族の絆だということを忘れてはならない。家族は経済の有力な基本単位であり、家族の絆は市場化の流れに耐えるだけでなく、老舗や兼業という形で市場自体を超えていく契機をもつ。

そうした家族同士の独特の連帯の気持ちを育むのは、どうもわが国固有の文化の色彩が濃い。それについては、また機会をあらためて考えたい。