阪神・淡路大震災では、企業間、そして顧客との絆が復興への大きな足がかりとなった。今回の震災でも、ライバル企業から協同の動きが出始めてきている。
物心両面で組合に支えられた神戸の酒屋
16年前の阪神・淡路大震災。通勤に利用していたJR神戸線六甲道駅は高架だったが、その高架が崩れ落ちた。六甲の山手にある神戸大学の私の研究室では、書棚は転倒防止のために壁にボルトで固定されていたが、その壁を引きちぎって重なり合って倒れた。それまで経験したことのない大災害だった。それは100年に一度の災害といわれ、私が生きているうちにはもう起こることはないはずのものだった。が、今度は1000年に一度といわれる大災害がわれわれを襲った。
1995年当時、私は「まちの商人」の調査研究を行っていた。そのせいもあって、震災前後にわたって、神戸市中心部の商店街や小売市場を訪問し、商人の方々から商売の話や生活の話をいろいろと伺う機会をもった。拙書『商人家族と市場社会』(有斐閣、96年)や「被災地小売業復興の課題」(神戸大学経営学研究科「ビジネスインサイト:特集復興のダイナミズム」第10号、95年所収)にその関係の話が収められている。
長田区で店が全壊してしまった酒屋さん。何とか残った納屋で臨時に営業されていた。そこを訪ねて、一つのストーブを囲んで何人かの方と話をした。酒屋といっても、商品はもちろんのこと揃ってはいない。
その酒屋のご主人は、かなりご高齢で跡継ぎもいなかった。そうした事情の下、復興意欲が乏しくなっても致し方ないところだ。だが、その主人は、「店は壊れたが、立て直して営業を続ける」と言われる。理由を聞くと、神戸市や区域にある酒屋の組合が物心両面で応援してくれるからだという。酒屋組合はしっかりした組織で、地域別に細かくケアが行き届く体制になっていた。そうした体制下にあれば、相談し励まし合える仲間がいるので、復興意欲も自然と湧いてくるのだろう。
励ましてくれる仲間がいる。それは、フランチャイズやチェーン店にもいえる。神戸で震災当日からいち早く店を再開したのはチェーン店。彼らはビジネスに対して強い使命感・責任感をもっている。しっかりとまとまった商店街振興組合も同じだ。商店街全体が壊滅的被害にあったある商店街には、「それでも、とにかく店を開けよう」と走り回るリーダーがいた。さらに、彼らは、子供たちの教育にも手を打った。
「サラリーマンの家庭だったら、お父さんは会社の近くに泊まって、お母さんと子供が疎開するということもできるでしょう。だけど、店をしている者はそうはいきません。店は、お父さんとお母さんが一緒になってはじめて、やっていけるのだし、それでこそ生活も商売もできるのです。私たちはここを動くことはできないのです。そうすると、子供をどうするのか、何とかしないといけない……」と言われた。