診断から5年後の生存率が10%に

そんな私だから、妻と2人の娘も比較的冷静に受けとめていた、と思っていた。しかし、著書(『がん患者』)の執筆に際して聞き取りを行ったとき、そうではなかったことがわかった。

手術の直後、執刀医の澤田壽仁医師(当時、虎の門病院消化器外科部長)から説明を受けたときのことだ。他の臓器やリンパ節への転移は見当たらなかったものの、がんが腸管の壁を突き破っているため、腹膜転移(腹膜播種)の可能性があること、そして腹膜へ転移していたら海岸の砂浜でがんを1つ1つ拾うようなものだから、そうなればホントのところはお手上げになってしまう、と告げられた。

「あぁ、パパも死んじゃうのか」

長女のあすかは、初めて私の死をこう意識したという。澤田医師の説明後すぐに虎の門病院の外へ出て、玄関横のベンチに座り、夫に慰められながら涙を流した。次女のさやかはタクシーで自宅に帰ってから、1人で「わぁ~」と泣いてしまったという。

2年後の07年、肺への転移=再発が指摘され、家族は再度大きなショックを受けた。執刀医の河野匡医師(虎の門病院呼吸器センター外科部長)から、私の進行直腸がんのステージがII期(診断から5年後の生存率約70%)からIV期(同約10%)へ訂正され、2回の胸腔鏡下手術を受けた。

そして肝臓への転移=再発が発見され、開腹手術を受けたのはさらにその2年後の09年。さらに、11年には喉(中咽頭2カ所)と食道(1カ所)にがんと疑わしい新たな病変が指摘された。続いて直腸がんの肺転移、肝転移と疑われる新たな所見が確認されたのもその年だった。ただ幸いなことに、いずれも「がんではない」との診断が下され、今日に至っている。