たとえば闘病記を読んで心構えを

最初のがん告知は1984年、日本興業銀行ニューヨーク支店の営業課長を務めていた39歳のときでした。胃腸の調子がずっとすぐれず気になっていたとき、たまたま手にした週刊誌に大腸がんの記事があり、そこに書かれていた症状がどうも自分の症状と似ているのです。それで、よもやと思って検査を受けたところ、S状結腸に腫瘍が見つかりました。

関原健夫氏

けれども、そのときはまだがんに対する知識があまりなかったこともあって、よくいわれるように頭が真っ白になるようなこともなく、会社にどうやって報告しようとか、手術はアメリカと日本のどちらでやろうとか、そういうことばかり考えていました。

本当に衝撃を受けたのはニューヨークで手術を受けた後、病理検査の結果をドクターから知らされたときです。私のがんは多くのリンパ節転移があり、5年生存率が20%ということでした。それまでは考えもしなかった「死」を、いきなりわがこととして目の前に突きつけられたのです。

転移や再発がどうやって起こるのか。治療はどうするのか。仕事は続けられるのか。一刻も早く日本に帰ったほうがいいのか……。私はすっかり頭が混乱し、何をどうしたらいいかわからなくなりました。

そんな私にがん患者としての心構えを教えてくれたのが、古くからの友人で、やはりがんを患っていたニューヨーク在住のジャーナリスト、千葉敦子さんです。

「あなたはあと5年生きられない。それを自覚して今後の人生を考えなさい」。彼女から届いた手紙を読んで、自分の置かれた状況の厳しさをあらためて自覚するとともに、とにかくいまの自分にできることを精一杯やろうと心に決めました。