なぜ「もっと欲しい」と言わない人は美しいか?

(3)くれくれ言わない

女にとって「愛」は人生でも比重が大きいものなので「愛」を求める気持ちが強すぎて「くれ、くれ」になってしまうことがある。

無限のものを求めるのだから「これでもう十分、満足」という状態になることがもともと、難しいのである。多くの女は「足る」を知らない。

よく彼氏が「○○に連れてってくれない」「楽しませてくれない」「何もしてくれない」という不平不満を持つ女が出現するが、相手に求め過ぎるから、落ち込むのである。

楽しいことがあるのなら、それは相手に探させるのではなく、自分から探しに行くべきだろう。「楽しいことは自分から」という「待たずに行動」できる女は幸せになる。

誰かに何かをやってもらうことに頼るよりも、誰かに何かをやってあげられることに喜びを見出すことができるならば、幸せはあなたを放っておかない。

(4) 悲劇のヒロインの自分を拒む

女は「ヒロイン」に酔える生き物なのであるが、これに「悲劇」のスパイスが降りかかると、一層、甘美なものとして受け止めやすい。

生まれつき「こんな可哀想な私」というシチュエーションが嫌いではないのだ。

であるから余計に男から「こんなことをされた」「あんなこともされた」ということを忘れない。その欠片を集めて「不幸」に酔うこともできるからだ。

しかし、これを理解できる男はごく少数。大抵の男は女に「そんな(悲劇の)土俵に乗るような状態を避けるか、忘れるかすれば解決になるのに」という、ご提案をしてしまいがちだが、完全に火に油である。

一方、「悲劇のヒロインになるのが嫌い」という女は少ないが、彼女たちの思想は別格だ。対する相手の予想を遥かに凌駕する。

ある一家の息子が中学受験をすることなった。

その戦いに参加している全員が一斉に合格に向かって頑張っている。だが、努力をすれども成績は思うようには伸びないものである。人生において、努力が裏切ることは案外多い。

しかし、その父親は成績が低迷する息子が理解できない。挙句に妻にこう言い放った。

「こんなバカ、見たことがない! 本当に俺の子か?」

男性諸氏、忠告しておくが、これは決して妻に言ってはならない「禁句」である。宣戦布告である。

普通の妻にはこれで「別れ」を決断できるほどの威力を持つ言葉であることを認識した方が良い。あなたの妻がごくごく平凡な女ならば、この一言だけで十分、あなたのオムツは取り替えてはくれないだろう。

しかし、「悲劇のヒロイン」嫌いの女は、別次元の哲学思想を持っているので、夫とは比べ物にならないくらい大切な最愛の息子のことを「俺の子か?」と言われて、こう切り返している。

「なわけないじゃない? この子は私だけの子なの♪ 私がひとりで産んでて育てるの! さあ、私を聖母マリアと崇めなさい!」

いきなりヨゼフとなった夫はもう反論すら受け付けてはもらえないのである。

こういう敵の予想を圧倒的に上回る思考を持つ女が回す家庭は安泰である。