土着組織とアルカイダの合体した組織
イスラム国は、タリバンとアルカイダの両方の側面を持つ。最初の組織ができたのは99年。創設者はヨルダン出身のザルカーウィーで、かつてアフガニスタンでアルカイダと関わった経験もある人物だが、当初は故郷のヨルダンの政権を標的にしたジハードを行っており、名前も別のものだった。
この組織がアルカイダと接近するきっかけは、03年、アメリカをはじめとした連合国軍のイラク侵攻だ。イラク戦争が始まり、イラクのフセイン政権が倒された。イラクにできた新政権はシーア派主導だった。シーア派はイスラム教の二大宗派のうちの1つ。もう一方のスンニ派に比べ、少数派だが、イスラム世界における両派の争いはしばしば大きな紛争に発展している。
アルカイダとイスラム国はどちらもスンニ派で、反米と反シーア派である。両者の違いは、イスラム国がシーア派を「異端」、もっといえば「異教徒」と断じて、「ジハードの対象である」と宣言したこと。イスラム国は、シーア派が牛耳ったイラク政権に対するスンニ派の攻撃をジハードとして正当化している。一方のアルカイダは基本思想は同じだが、シーア派よりもアメリカに対して、より大きな敵意を抱いている。「シーア派といえども、同じイスラム教徒。彼らと争っていては『本物の異教徒』であるアメリカを倒す戦いに進めない」と考えている。
アルカイダとイスラム国の基本的なイデオロギーは同じだ。ザルカーウィーの組織は9.11事件で世界的に高まったアルカイダの威信に惹かれて、「イラクのアルカイダ」と名乗って関連組織になった。アルカイダ本体から見ても、イラクで反米・反シーア派政権の武装闘争で成果を挙げたこの組織は捨てがたいので加入を歓迎した。アルカイダのネットワークに入ったイスラム国は、手法の面でもアルカイダと共通している。インターネットをアルカイダ以上に駆使し、残酷な映像も利用して巧みに宣伝し、世界中からジハード戦士を集めていった。
しかしザルカーウィーは06年に死亡し、指導層がイラク人主体の土着組織になっていく。フセイン政権の軍や諜報機関などにいた者たちも集まってくる。この点において、土着組織タリバンの側面を持っているといえよう。グローバルなジハード組織に集まる義勇兵や資金を利用しながら、フセイン政権当時握っていた権力を取り戻そうとする動きが背後にはある。
こうして見ると、ローカルな組織がグローバルな過激派組織の影響を受けて台頭しながら、やがて土着化して領域支配を進め、そこで再びグローバルな知名度を高めて世界中から戦闘員を集めるというサイクルがある。イスラム国は、タリバンのローカル性とアルカイダのグローバル性の双方の特質を併せ持つ組織に進化したといえる。