参拝を問題化させた三木総理の「基準」
安倍晋三総理が2013年12月に靖国神社に参拝した。7年ぶりの総理の参拝は、中国や韓国から非難され、さらにはアメリカ政府からも「失望」を表明される異例の事態となった。国が戦死した兵士の慰霊をするのは、世界的に見て普通のことなのに、なぜ外国は総理の靖国参拝を問題視するのか、疑問に思う方も多いだろう。それを理解するために、まず靖国神社の歴史を押さえよう。
靖国神社は、1869年に明治政府によって「東京招魂社」として創建された。招魂とは、死者の魂を招いて祀ること。当初は、戊辰戦争の官軍の戦死者を祀る神社だった。10年後、東京招魂社は神社の格を上げるという意図のもとに「靖国神社」と改称される。靖国は、国を平和にするという意味。この改称と前後して、内戦の戦死者にとどまらず、国民的な対外戦争の犠牲者も合祀の対象になっていく。
靖国神社は国が管理していたが、その性格は戦後に大きく変わった。1945年12月にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が神道指令を発して、政教分離の原則と国家神道廃止を打ち出した。日本政府には宗教性を薄めて国の慰霊施設として残すか、国から切り離すかという2つの選択肢があったが、選んだのは後者だ。翌年に宗教法人令で靖国神社は民間の宗教法人となり、国のコントロール下から離れた。
宗教法人となった後も、総理の多くは参拝している。当時は、それが問題視されなかった。問題になったのは、75年に三木武夫総理が終戦記念日に参拝してから。三木総理は私的参拝であることを表明、私的参拝の基準(公用車を使用しない、お供を連れていかない、肩書を記帳しない、玉串料は私費)を示した。それまでは公的か私的かということにこだわらなかったのに、私的参拝を強調したことで「総理の参拝は政教分離の原則に反するのではないか」という論点が浮かび上がった。