A級戦犯の分祀は実現するのか?
国内の靖国問題で問われている本質とは、国家の命令で戦い亡くなった人をどうするのかということだ。兵士の犠牲のもとに今の社会があることを忘れると、戦争は誰かがやってくれるから怖くないという風潮が広がり、戦争へのハードルを下げてしまう。その意味で、宗教右派、右派、中間層、リベラルまで、兵士の慰霊を行うことに関して異論はないはずだ。
ただ、そのやり方については、各立場で考え方の違いがある。ここは意見が分かれるところだが、私はA級戦犯を分祀して、天皇陛下が御参拝できる環境を整えることが、どの立場の国民も納得する落としどころではないかと考えている。A級戦犯の合祀が発覚して以降、天皇陛下の御参拝は途絶えている。御参拝が再開されることは宗教右派も歓迎する。もちろん、何らかの形での靖国神社の国家管理が前提だ。
しかし、実現は容易ではない。というのも、靖国神社は民間の宗教法人であり、国が介入できないという建前があるからだ。仮に政府が分祀を望んでも、宮司が首を縦に振らなければ動かない。兵士の慰霊は国として取り組むべき重要な仕事なのに、一民間人が外交関係にまで影響しうる問題のキャスティングボートを握っている。そこに靖国の問題の根深さがあるのだ。