その弁護士は本当に助けるつもりがあったのか、もしくは助ける能力があったのか大いに疑問を持った。「正しい教育を行えば人間は正しく生きる」というのはおそらく間違いだ。どんなにコンプライアンスを頑張ったところで、組織には必ず問題が起きるものだ。自分が罪を犯さないのは当然としても、組織の誰かのせいで、他の同僚までも中傷にさらされ、傷ついていくのを私は看過できない。だからこそ、危機管理のプロとして、ギリギリのところで捜査当局と私は戦ってきたつもりだ。このホテルにはレストラン以外にも従業員は大勢いて、その家族もいる。その人たちに罪はないのだ。批判を受けようとも私はその人たちのために戦いたい。ましてや、産地偽装で人が健康被害を受けたわけでも、死んだわけでもない。明らかに当時の世間は騒ぎすぎだった。戦後を駆け抜けてきた私にとって、食の本質とは栄養源だ。どこ産の牛だから重宝する、ダメなどというのは、あまりにバカバカしい。

本連載で私は今年6月から義務化された社外取締役に対する是非を問うた。私自身は、現状の日本経済界における社外取締役に対する認識のままでは、企業の発展にプラスにはならないと考えている。むしろ、マイナスだろう。組織的不正が認定された東芝がこれから社外取締役を増やすというが、まったく効果は期待できない。知り合いの経営者などに聞いてみると、「バカ!」と叫びたくなるくらいに無能な社外取締役が多いという。読んだばかりのどこぞの経営書を鵜呑みにして、長々と講釈を垂れるのだという。会社にとってプラスになる社外取締役とは、経営に参画することではなく、現経営陣の方向性に従って、足りないところを補う人のことだ。

日本的な経営が成功したそもそもの理由は、従業員を大切にしてきたことだ。大切にされた従業員は生涯同じ会社で働き続け、労使が家族的な雰囲気の中で企業を成長させてきた。社員が汚職の嫌疑をかけられたからといって直ちに切り捨てるのではなく、救いの手を差し伸べた場合もあった。

一方で、欧米型の経営は、株主優先主義で企業の利益はまず経営者と株主で分配し、残りを従業員に回す。何かあれば経営者や従業員のクビをすぐに切ることも辞さない冷徹さが求められる。今回の社外取締役の義務化は、この欧米型株主優先主義への移行を促す象徴的なものではないか。それで果たして日本企業を発展させることができるのだろうか。