学園ドラマに登場するような、いわゆる「熱血教師」は、実際の教育現場でどのように受け止められているのか。10年以上中学校教諭を務めた静岡の元教師すぎやまさんは「自ら先頭に立ってクラスを盛り上げるような『熱血教師』は今も一定数存在する。しかし、彼らは、今の学校で求められている学びのあり方と、対極に位置する存在だ」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、静岡の元教師すぎやま『教師の本音 生徒には言えない先生の裏側』(SB新書)の一部を再編集したものです。 

教室
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学校をダメにする教師

教師を主人公にしたドラマは昔から人気があります。

そんな学園ドラマに出てくる主人公は、ほとんどがいわゆる『熱血教師』。生徒のためならわき目もふらずに突っ走り、ときには保身しか頭にないような校長やイヤミな教頭と衝突することも辞さないようなタイプ(教頭は学校で一番大変な仕事なのにドラマではだいたい悪役なので可哀想です(笑))。

そして、そういうドラマに憧れて教師になったという人も少なくないと思います。

実際の現場には今も、いわゆる『熱血教師』は一定数存在します。いつもクラスの中心にいて、体育祭の時には先頭に立ってクラスを盛り上げ、部活もバリバリやって、時には本気で生徒とぶつかり合っていくような。

しかし、私は正直、そういう熱血教師があまり好きではありません。同じように思っている先生は少なからずいると思います。

なぜなら、熱血教師が今の学校で求められている学びのあり方と、対極に位置する存在だからです。

今の学校での教育観では、主役はあくまで子どもたち。ところが熱血教師のドラマでは、主人公は先生です。子どもたちを導くヒーローとして描かれています。熱い想いで生徒を導く立派な先生と、愚かで、ときに道を踏み外してしまう生徒たち、という図式です。

昭和から平成の前半にかけては、たしかにそういう図式が明確にありました。

当時は今と違って、大人と子どもが得られる情報量には絶対的な格差があったからです。圧倒的知識量を持っている人生の先輩と、まだ何も知らない子どもたち。その頃にはそういう力関係が、たしかに存在していたと思います。

でも今の時代は、学びの主役は子どもです。

教師には教え込んだり、やらせたりするのではなく、生徒が主体的に学び、自ら問題を解決していけるように授業を設計し、伴走し、場をコーディネートするような役割を求められているのです。

ところが熱血教師はこの真逆。自分が先頭に立って生徒を引っ張り、生徒の意見よりも自分が言いたいことを言うタイプです。