“子供に寄り添った授業”がやりにくくなる
教育現場では、今まさに劇的な変化が進んでいる。全国の自治体や学校では、授業の進め方やルールなどを統一する「授業スタンダード」と呼ばれるものが広がりつつある。教師の長時間労働などの背景を研究し、現場のリアルな声を発信してきた教育社会学者の内田良さんと議論した。
【木村】気になっているのは、「授業スタンダード」の導入です。授業方法から挨拶などの生活指導まで、「こういう方法でやりなさい」というスタンダードが下りてきて、教師の裁量が低下する。裁量性が広い双方向・探究型授業を行おうとするがゆえに、ノウハウが求められて、結果的にスタンダードが導入されるという事態になっています。
ただ、教育法学でも憲法学でも、現場の教師の裁量は非常に重要だと言われているんです。裁判官は子ども一人ひとりの顔は知らないし、どんな子なのかも分からない。他方で現場の教師は、その教室の専門家として、時間をかけて子どもたちへの理解を積み重ねている。その専門家としての判断を裁判官や法律家は尊重する必要があるし、裁判所にとっても、授業の方法が裁量を逸脱しているかどうか、違法性を認定することには非常に慎重になる。
ところが、授業スタンダードが設定されると、「この子はもう少しゆっくり喋ってあげた方がいいな」とか「この子たちは、この知識がないから、それを定着させてから次のプロセスに入ろう」といった判断が許されなくなってしまう。
保護者に説明しやすいメリットもあるが…
「メガホン」というウェブメディアが実施した教職員向けアンケートを目にしたのですが、それを見ると、現場の教員は、スタンダードに関して、メリットよりもデメリットを強く感じているようです。
唯一のメリットと言えば、保護者に説明が出来ることぐらいだと。(メガホン「【教職員アンケート結果】学校や自治体で授業のやり方を統一する「授業スタンダード」どう思う?)」
【内田】授業スタンダードのメリットはその1点なんですよね。「管理しています」という証拠として説明責任を果たせる。例えば、鉛筆が1本なくなったと低学年の子どもが言い出すことがあります。こういう時のために、持ってくる鉛筆は5本と決めて、毎朝本数を確認しておく。すると、日中に1本消えたのだから学校で落としたと言える。
こうした明確な説明がつきやすいと、何かトラブルが起きた時の説明もしやすいんです。「ちゃんと指導しています」という証拠になる。そのため、嫌がる教師がいる一方で、コミットしてしまっている教師も多い。