10の愛情をもらうと、次は15求める女
2.【反芻女】
一度された仕打ちを生涯忘れない女がこのタイプ。
例えば、姑から言われた嫌味を絶対に忘れないどころか、それを毎度、思い出しては再び嫌な気分を自ら味わおうとするタイプがそれである。
男が浮気しようものならば完全決着が着いたあとでも、その記憶をことあるごとに思い出しては当時の気分を反芻して、悲劇のヒロインであった事実を忘れない。それどころか、反芻するたびに記憶は鮮やかに蘇り、現在進行形で起こっている事実かと錯覚するほどに男を執拗に攻撃する。
既に罪を償い、出所した気分である男を再び、審議の場に戻す行為を非常にシバシバやってしまうのである。
このタイプに「一時不再理*」は通用しないのである。
(*いちじ-ふさいり:刑事訴訟法上、事件についての判決が確定した時、同一事件については再度審理を許さないこと=デジタル大辞泉)
「あの日、あの時、あの場所であなたは私にこういうことをしたのだから、その罪は生涯消えない」と呪いをかけているのである。
呪いをかけるのは構わないが、往々にして「人を呪わば穴二つ」になりがち、つまり己が呪いにかかってしまうので、このタイプの女に幸せは訪れない。
3.【もっともっと女】
高尚な言葉で言い換えるならば「足るを知る者は富む」BY老子 の逆バージョンである。
欲望にはキリがないということに気が付かない女は不幸なのだ。女にとって「愛」は人生においてかなりの比重を持つ意味のあるものである。常に誰かに愛されたいと願う女は多いが、その愛情を誰かに過剰に求め続けるのならば、その愛は全力で遠ざかるだろう。
何故なら、その女の求める愛には上限がないからだ。どれだけ愛を求めようとも、決してその女のこころが満足することはない。愛を10与えたならば、翌日には10では満たされず、15を望む。15を与えられたならば、もう15では満足できずに20を要求するようなものなのだ。
「分相応なところでの満足ができる者はこころが富んで豊かになる」という老子さまのお言葉が耳に入らない女は幸せにはなれない。