マスクは自分だけの「最小のバリア」
しかし、欧米ではマスクをしている人は、いまだほとんどみかけないという。していると「何かのウイルス感染者」か「瀕死の病人」か「これから強盗でもしようとしている人」かと疑われるそうだ。
アジアの街中では、かなり昔からマスクをする光景は見かけたが、これは目的がはっきりしていた。排気ガス除けだ。バイクにまたがって、ど派手なピンクのマスクをするベトナム女子、ファンシーなプリント柄のマスクをする台湾の子供たちなど、いやでもマスクに目がいってしまった。目立つファッションという点ではアジアのマスク事情は進んでいる。
日本、特に都心ではどうだろう。朝の満員電車に乗れば、相手との距離はほぼないに等しい状態だ。そこでは、マスク本来の使い方は存在するだろうが、「病気をうつさない」というより、「うつされたくない」と自分を隔離、浄化したいといった願望が強く出ているように思える。臭い体臭や香水からも身を守る。自分だけの最小のバリアをはっているのだ。
そういえば、以前の職場で、四六時中マスクをつけている人がいたが、「話しかけないでください」という暗黙の意思表示のようで、その人が誰かと話しているのはめったに見たことはなかった。表情を隠したい。これは、精神的なバリアの一種であろう。
1996年、抗菌グッズが世の中に溢れ始めた頃、筆者は、汚れを祓い清い場所で守られたいといった願望を「サナトリウム症候群」と名づけた(カラダの中から根こそぎ「悪毒病菌」を排除してさらに心地よい空間に保とうとする人々の生態)が、20年のときが過ぎ、もはやその域は超えてしまったようだ。
今や、若者の間では、マスクは小顔に見られたい、ノーメイク(すっぴん)を隠したいといった「仮面」の要素もあるようだ。写真を撮るときギャルは手で顔を一部隠すポーズをするが(おばさんもたまにやるが)、あれは小顔効果があるといわれている。口元を隠して、目元を強調するという効果も狙っているそうだ。