初夏にマスクが飛ぶように売れる
風薫る5月、地下鉄に乗り込んだときのことだ。「なぞのパフォーマンス集団に追跡されたかも」とうろたえたのは、マスクをした見知らぬ人々に囲まれたからだ。
両隣と前に座る3人で合計5人。見たところ皆顔色よく、元気そう。花粉症でもなさそうだ。インフルエンザもとうに終わっている時期である。
しばらく様子を見ていたが、彼らは知り合いではなさそうだ。携帯をいじり、本を読み、居眠りをし、思い思いに過ごしている。まさかと思ったが、両隣が降りてまた次に乗ってきた人もマスクであった。やはり、パフォーマンス集団の一員なのか……。いや違う。偶然だ。
一体この国のマスク事情はどうなっているのだ、と困惑しつつ帰宅前にふらりと立ち寄ったドラッグストアで、またマスクの「集団」に通せんぼされた。目の前に大量のマスクのセール品が、厚い壁となって立ちはだかっていたのだ。
マスクは、私が子供の頃は、学校にしていくのにとても勇気がいるアイテムだった。
風邪をひいて辛くて鼻の下が真っ赤でガビガビのとき、マスクをしていくと奇異な目で見られたものだ。
あれから、ときは経ち、マスクの存在意義は変わった。
日陰から日向へ。そう、「すると恥ずかしいモノ」から、「して当たり前のモノ」へ変化したのだ。マスクをしていても、もう誰も特別な目では見ない。ハンカチ、ちり紙、マスク。そう、マスクは日常のものとなり、風邪や花粉の流行る時期は、忘れると「しまった」という気持ちにさえさせるからものすごい出世ではないか。