野球部での活躍の後に、人生最初の試練

これまでの人生をふり返ると、仕事も人生も思うどおりには行かないものだと思います。山あり谷ありの波乱万丈。前の連載でもお話しましたが、私は入社早々、会社の問題点を指摘したために役員の逆鱗に触れ、工場勤務へと左遷、「お前のサラリーマン生活は終わった」とまで言われました(連載第1回 http://president.jp/articles/-/14296を参照)。しかし、左遷先の現場で汗を流した経験があったからこそ、いまの私があると思っています。こう考えると、人生は塞翁が馬です。

高校時代は、校区で定められた進学校に通い、大学進学を目指しました。そこで私は野球部に入部します。通常は2年生で退部し進学に備えるのですが、幸か不幸か、私たちの時代は、甲子園出場も期待されるほど強いチームだったのです。このようなことは後にも先にもありません。

2年で野球をやめるつもりでいると、先生がもっと続けるように家まで説得しに来ました。そして、こう言うのです。「全校生徒1000人のうち、野球部で9人のレギュラーに選ばれるということは、1000人のなかで9番目に入るということ。勉強で9番になるのは、必死で勉強したとしてもたやすいことではない。それと野球で9番になるのとはどう違うんだ? 野球でレギュラーに選ばれることは、それくらい価値があることなんだ」。

私はショートで3番バッター。1年生からレギュラーでした。私が優秀な選手だからというより、弱小チームゆえのレギュラーです。そんな弱小チームが、どういうわけか強くなり、福井県の代表チームに選ばれたのです。当時、甲子園に出場できるのは、石川、富山、福井の北陸3県から1校のみ。結局、私たちは北陸大会で惜しくも敗れ、甲子園への夢は破れました。そして、高校3年間を野球一筋で過ごした私は、第一志望大学への切符も逃したのでした。

なんて俺は運が悪いんだ――。野球を続けたことを悔やみました。受験の失敗は、当時の私にとって最大の汚点。しかし、この失敗こそが、その後の私の人生を変えることになるのですから、人生とはわからないものです。もちろん、3年間白球を追いかけ、心身ともに限界まで鍛えたことが私にとって大きな糧になったことは間違いありません。