かろうじて入学した大学で恩師と出会う
第一志望の大学を逃した私は、明治大学の経営学部に入学しました。そこで恩師となる土屋喬雄先生と出会うことになるのです。
高校時代、あまり勉強に時間が割けなかった私は、大学では“オール優”で卒業しようと、がんばって勉強に打ち込みました。ところが、教養学科の先生に、どうしても「優」をつけない先生がいました。試験の解答用紙を階段の上からばらまいて、階段の上に残った解答用紙だけを「優」にする。採点方法がいい加減な先生だという噂でした。
私はその先生に文句を言いに行きました。「僕はオール優を目指しているんです。試験にはしっかり解答したのに、どこが問題だったのですか」と。すると先生は、「君は、優をもらうために大学で勉強しているのか?」と言うではありませんか。理不尽なことを言う人だなと思いながらも、先生の言うことも一理あるかもしれない、と妙に納得しました。
土屋先生のゼミは大人気で、ゼミに入るにも狭き門でした。私は良い成績を収めていたので、なんとか土屋先生のゼミ生となり、そこで経営学を学びます。このことは、私の人生の方向性を決めた大きな出来事だったと思います。
卒業後は、地元にのこした両親の面倒をみるために、福井に戻ることにしました。長男である兄はすでに東京で就職し、自由で気ままな暮らしを謳歌していました。両親にとっては次男である私が頼り。「お前は帰ってきなさい」というわけです。当時、福井での優良企業といえば、福井銀行か福井精練加工(現セーレン)でした。大学の成績や土屋先生からの推薦もあり、倍率の高い競争をくぐり抜けてセーレンに入社することができたのです。
両親はとても喜びました。ただ、その喜びもつかの間、若気の至りで言いたいことを言い、左遷されることになったのは前述のとおりです。