プロボクサーから実業家に転身

渡邊はプロボクサーから実業家に転身した異色の経営者である。もともとスポーツが得意で、高校時代はハンドボールで活躍した。高校卒業後はプロスポーツ選手を目指して、ファイティング原田のジムに所属し、ボクサーの道に進んだ。

3Dプリンターによる心臓モデル。

食い扶持を稼ぐために植木職人になり、職人の世界を知ったことが、後の経営に活かされる。

ジムに入って1年後にプロデビューを果たすが、5年間で2勝6敗1分けと振るわなかった。渡邊は24歳でボクシングに見切りを付けた。ちょうどその時、父親と16年ぶりの再会を果たした。実は幼少期に両親が離婚し、父と離ればなれになっていたのだ。

2人は大いに盛り上がり、渡邊は父が経営していた損害保険代理店業務を中心としたJMCに25歳で入社した。

当時、JMCは業務の一部として外注先に光造形の研磨作業を委託する仕事を行っていた。渡邊はそれに興味を感じ、保険事業は父に任せて、ものづくりを担当することになった。そのうち、外注業務だけでは面白くなくなり、助成金を受けて、自社で4000万円もする光造形機を購入した。2000年のことだ。

「当時は光造形を知る人もほとんどなく、いずれ伸びると思ったのです」

渡邊は光造形サービスにのめり込み、4年後には1億円の売り上げが立つまでになった。だが、ビジネスが軌道に乗り始めると、父とぶつかるようになった。方針が合わず、毎日ケンカを繰り返した結果、父が身を引くことになり、2004年に渡邊が全株を買い取って、社長に就任した。

05年には愛知万博のトヨタグループ館で展示するロボット開発に参加。06年には知り合った鋳造会社の3代目と意気投合し、会社を合併した。その3代目は現在、専務を務める鈴木浩之であり、鋳造部門を統括している。

「経営者の師はいない。有名経営者を見習おうとも思いません。自分の頭で考え、語るべき」という渡邊は、「利益を出してこそ企業としての存在価値があります。おカネはお客さまの『ありがとう』の印です。継続して安定的に利益を出すように考えるのが経営者の仕事」と、その経営哲学を語る。

渡邊は21世紀を勝ち抜く強い中小企業のモデルをいま、作ろうとしている。(文中敬称略)

株式会社JMC
●代表者:渡邊大知
●創設:1992年
●業種:3Dプリンターによる樹脂の立体成型、および非鉄金属の鋳造
●従業員:49名
●年商:10億円(2014年度)
●本社:神奈川県横浜市
●ホームページ:http://www.jmc-rp.co.jp/
(JMC=写真提供)
【関連記事】
「3D」技術が変えるモノづくりの現場、医療の明日
なぜ「3Dプリンター」で鋳造業界を革新できたのか
「脱・販社」宣言の先にある新ビジネスモデル -キヤノンマーケティングジャパン社長 川崎正己
なぜ「3Dプラットフォーム」で仕事が変わるのか
S・ジョブズは「消費者イノベーター」の先駆である