「部族」のつながりは国境を軽々と越える
部族は大小さまざまだが、大きな部族になるといくつもの国境をまたいで生活しているのが特徴だ。たとえば最も大きな部族の一つであるシャンマリー族ともなれば、イラク、シリア、サウジアラビア、クウェートにまで広がっている。それぞれの国家に部族長がいて、ときおり部族長会議が開かれるが、それも、「この間はサウジアラビアだったから、今回はシリア、次はイラク」という感じで、持ち回りで開催されるのが通例だ。
この部族長会議は、戦乱の最中にあってもおかまいなしに開かれる。
たとえば、サウジアラビアとイラクとは宗派の違いもあり犬猿の仲だが、両国が紛争中にイラクで部族長会議が開かれたことがある。その席に、サウジアラビアの代表が平然として出席していたのが印象的だった。
紛争は国家間の出来事だが、部族には国家を超えた強い絆がある。彼らはまさに、国家に対してよりも部族に対して強い帰属意識を抱いているのである。
もともと、現在の中東地区の国境線は、第1次世界大戦中の1916年5月にイギリスのマーク・サイクス(中東専門家)とフランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコ(外交官)の間で交わされた秘密協定『サイクス・ピコ協定』によって引かれたものが少なくない。
オスマン帝国の版図を前に、「ここからこっちはイギリスのもの」「じゃ、その隣はフランスね」という感じで、定規で線を引くようにして、第1次大戦後のオスマン帝国の領土の分割を約したわけだ。
実際、リビアとエジプト、エジプトとスーダン、サウジアラビアとヨルダン、イラクとヨルダンなどの国境線を見ると、まさに定規を当てて「エイ、ヤッ!」と分割した印象を受ける。
もともと国境のあちらとこちらに同じ部族が住んでいたのである。イギリスとフランスが勝手に引いた国境線の向こう側に、親兄弟や親戚が住んでいる可能性もある。その国境線も砂漠の中を500km、1000kmの距離で続いているわけだから、越えようと思えばいつでも越えられる。
アラブ・中東の人々が国家よりも部族に対して強い帰属意識をもつというのは、ある意味当然のことなのだ。
※本連載は書籍『面と向かっては聞きにくい イスラム教徒への99の大疑問』(佐々木 良昭 著)からの抜粋です。