デザインした人 柴田文江(プロダクトデザイナー)

それまでの体温計は、医療の現場で使われていてそのまま家庭に入り込んだものが多くありました。ドクターや病院のイメージで作られたその形は、四角くシャープで、人々も体温計とはそういうものだと感じていたと思います。健康・医療機器メーカーのオムロンからデザイン依頼を受けたとき、最初に考えたのは、もっと暮らしの道具として日常に馴染む体温計があってもよいのではないかということでした。

考えてみれば当たり前ですが、体温計は病気になったときに使うものです。病気で気持ちが弱くなったときに人は、心置きなく身を任せられる優しさや信頼感を求めます。では、のどかでホッとできる優しさとは何か――。浮かび上がってきたのは、「お母さん」という存在でした。母という言葉には誰もがもつ共通のイメージがあります。「優しさ」と「信頼感」と「賢さ」。それらが体温計にとって目指すべきコンセプトと重なり、「マザーズラブ」というキーワードを見つけることができました。

方向性が明確になったところで、「腋に挟んで体温を測る」「測った数値を伝える」という体温計の機能をデザインの取っ掛かりとすることにしました。オムロンからは30秒で計測できる機能と、大型液晶という条件が出ていました。そうしてたどり着いたのが、ぽってりとした柔らかなフォルム。大きな液晶には文字を縦にレイアウトし、右利き左利きの区別がないように工夫をしました。従来の体温計は水銀計の流れを汲んで文字が横に並んでいましたが、電子体温計として使いやすいことを優先したのです。

腋に挟む体温計の先端部分を平べったく太い形にしたのは、最大のこだわりです。体温計の基本機能である「測る」ことをしやすくする形の提案でした。従来の体温計の先端部分はシャープで細い。でも、当たり前とされていたこの形が適切かどうかを見つめ直すと、腋で包み込むには細すぎると気づきました。

まして、体温計を使うことの多い子どもの皮膚は薄いし、高齢者の腋は痩せている。私自身の経験に照らし合わせても、幼い頃に体温計で熱を測るのは怖かったし、腋に挟みこまれたときに先端部が痛かったり、ずり落ちたりした記憶があります。腋でホールドして体温を測ることを考えると、平べったく太い形は理にかなっていました。