希望どおりでなくてもくさるな

将来、リーダーを目指す若い人たちにもうひとつ言いたいのは、与えられた仕事が希望と違ってもくさるなということです。

講演後の懇親会では小グループで直接質問する機会も。その質問の一つひとつに真剣に答えていく志賀副会長。

私は日産に入社して6年間、マリーン事業部でボートを売っていました。主力の自動車ではなかったので同期からは「貧乏くじを引いたな」と言われました。でも、くさらず仕事をしていたら、そのうち営業の面白味を感じるようになりました。

30代の海外部門時代もすぐに成果は出ませんでした。とくに87年から4年もかけて作ったインドネシア参入計画が頓挫したときは、すごく悔しい思いをしました。200数十億円をかけて現地に新工場を建てる計画です。ところがバブルがはじけて日産の海外投資がすべて止まってしまったのです。

若気の至りもあったのでしょう、頭にきて自分を所長に据えた「ジャカルタ事務所設立の件」という提案書を役員に出したら、「そんなにジャカルタに行きたいのなら、やってみろ」と予想外のことを言われ、1週間後に辞令がおりてしまいました。

こうして91年にジャカルタへ家族を連れて赴任するのですが、日産の社員は私1人ですし、工場もありません。仕事がないのです。これはさすがに辛くて人生で初めてストレスが体に出ました。ある日、子どもに「お父さん髪型がおかしいよ」と言われて、見ると円形脱毛症が(笑)。自分でも「これで会社人生は終わったか」と思いました。

それでも「これは人生のチャージ期間だ」と気持ちを切り替え、ビジネス書を読み漁りました。何しろ時間はたっぷりあったのですから。おかげで当時のアメリカと日本の状況をよく知ることができました。「ハーバード・ビジネス・レビュー」の論文から、一度は日本との産業競争に負けたアメリカが必死にIT投資をしている様子を知り、このままだと反対に日本がダメになると危機感を抱いたものです。

ジャカルタでの仕事は3年目に投資規模を数十億円に縮小し新工場を建てることが決まりました。その工場は97年からフル生産に入り、日本に凱旋帰国することができ、そこから企画室で日産の経営破たん回避に向けた修羅場の日々が始まったわけです。

今、希望とは違う仕事に就いて嘆いている人もいるでしょう。しかし私のようにくさらずに仕事をしていれば、それがいずれ糧になります。ぜひ、今の仕事に意欲的に取り組んでもらいたいと思います。

(大下明文=構成 向井渉=撮影)
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