わからないとき、こうすればいい
新人時代、私は人事の仕事が長かったのですが、その後、引受部に移りました。しかし、部内会議に出席すると、そこで交わされる話は、言葉の3~4割程度しか理解できませんでした。意味不明の打ち合わせをしている。新しい部署に移って2~3カ月は、わからない苦しみを味わいました。
顧客からの電話を受けたときは、最悪です。相手は当然、こちらが理解しているものとして話を進めてくる。「今度、抽選償還があるんだけれど、その手続きはどうすればいいか」などと質問される。こちらは「抽選償還? どこかで聞いたような言葉ではあるな」などと思いながら、受け答えするわけです。こちらは知ったかぶりですから、とにかく冷や汗ものでした。
しかし、あるとき「そんなことを急に言われてもわかりません」と言ったときに、自分のなかで踏ん切りがついた。つまり、きちんと調べて、改めて連絡すればいいという踏ん切りです。
わからないものは、わからないと言えるようになったのは、自分にとっては、ある種のブレークスルーでした。
わからないと言ってしまえば、今度は自分の問題として覆いかぶさってくる。次は、いかに早くこれに対応するか。ここで重要になるのが、人に聞くことです。
誰かに質問をする。その答えを教えてもらう。よほどのことがないかぎり、それだけで終わりにはなりません。相手といろいろな話をするわけです。例えば、何かの残高を知りたいとします。なぜ、それを調べているのかとなる。実は、こんな理由がありましてと続く。それならこんな数字もあるし、あんな話も聞いたよと会話はどんどん膨らみ、広がっていく場合が多い。
新しい見方を身につけるには、やはり、異質の媒体に触れる機会を持つことが大切です。何か視点の違うものを用意しておかなければ、世の中をものすごく偏ったかたちで見続けることになってしまう。
アメリカやヨーロッパなどで起こったことが、日本市場にも影響を与えています。もちろん、日本の新聞にも海外市場の情報は書かれていますが、その量は限られている。あくまでも日本から見たアメリカ市場やユーロ市場であるのです。
偏りをなくすためには、やはり、英語媒体にあたっていくしかありません。フィナンシャル・タイムズ(FT)やウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が代表的な媒体でしょう。つぶさに読む必要はありません。見出しだけでもいい。日本ではまったく記事にもならないことが、少なくともどのぐらいの大きさで、どう報道されているかを知ることが大事なのです。
(07年10月29日号 当時・社長 構成=山下 諭)