壁が厚いほど必要となる狂気

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吉田松陰の歩み(時事通信フォト=写真)

電動バイクを武器に、東南アジアとインドに進出したテラモーターズ社長の徳重徹氏は、吉田松陰の激しい生きざまを手本としてきた。徳重氏は、松陰の獄中と松下村塾での講義録ともいうべき『講孟余話』に記された「この道を興すには、狂者に非ざれば興すこと能(あた)はず」を座右の銘にしている。

「当社が、サムスンを超えるメガ・ベンチャーを狙うというと『クレイジーだ』と笑う人がいます。しかし、これほど私たちにとって光栄な褒め言葉はありません。アップルのスティーブ・ジョブズも、最初の頃は『クレイジーだ』いわれていたのですから」

こう話す徳重氏が、松陰に強くひかれたのは、30歳でアメリカのビジネススクールに自費留学したときのこと。講義の合間に幕末や戦後の偉人伝を再読したことがきっかけだ。出身地である山口県の英雄たちの事跡を社会人になってから学び直したことが、彼の信念の“肥やし”になっている。

松陰は、日本がまだ鎖国政策を取っていた江戸時代に、間違いなく世界に目を向けていた。若くして、諸国に遊学し、藩主の出府に従って江戸に上ると、他藩の人物とも交流し見聞を広めた。徳重氏は、そんな松陰の歩みと自身の留学、起業体験に通じるものを感じたそうである。

「松陰先生は、新しい国の形というものを常に模索していました。私も、いまの日本には新しい成功モデルが必要だと思っています。それがアジア市場へのチャレンジなのですが、その前に立ち塞がる壁を突破していくには、ある種の“狂気”が必要です」