狂者であることもいとわない激情家だった吉田松陰。しかし、その行動は、自信と覚悟に裏打ちされていた。

孟子に「至誠天に通ず」と言葉があるが、誰に理解されなくても、天が見ていると決めた人間に迷いはない。そのことは、萩藩士で攘夷運動に奔走した白井小助に贈った「世の人はよしあしごともいわばいへ 賤(しず)が心は神ぞ知るらん」という歌に出ている。

密航に失敗した直後、下田の奉行所の獄で詠んだものだ。松陰は、海外渡航の企てについて、世間にはよくないと非難する人もいるだろう。けれども、国を思う真心は神だけが知っているというのである。確かにそう考えれば、自然と腹の奥底から勇気が湧き、そして覚悟が決まってくる。

池田氏は「松陰は激情家でもあったことがよくわかります。渡航の失敗を恥ずることなく、世の批判も堂々と受け入れる。自分の行動に自信があったからでしょう。そんな決断であれば、短期的にはうまくいかなくても、やがて別の形で成就すると考えていたのでしょう」と話す。

当時、アジアは欧米諸国に席捲され、植民地と化していた。危機感を抱いた松陰が、国禁を犯してまで出国しようとしたのは、そうした欧米の実力を知りたかったからである。本来、兵学者であった松陰は、孫子の兵法「敵を知り己を知れば百戦危うからず」を、迷うことなく実践に移したのだ。

おそらく失敗して捕まれば、重罪に処されることは百も承知だったはずである。しかし、そこで躊躇してしまったら、本当の誠を示すことはできない。松陰は浜辺で小舟を奪い、夜の海に漕ぎ出す。

「この“覚悟”こそ、松陰の松陰たるゆえんです。それが中途半端だと勇気も湧いてきません。最近のビジネスマンが、新しい仕事に取り組む際『この目標なら達成できる』とか『この市場なら勝てる』といって条件を設定するのは、自分の殻から抜け出していないからでしょう。それでは覚悟を磨くことなど到底できません」(池田氏)