「リベラル」は躍進、「保守」は壊れた!
ここで山田は、東京ブロックでの比例票目当てに田母神擁立の巻き返しをはかったという。
「中田宏など田母神入党に批判的な穏健派には、田母神擁立を平沼ら『旧たちあがれ日本』勢の仕業にしたウラで、田母神擁立に尽力した」(前出C)
翌28日に田母神の公認が発表される。公認の決定権をもつ党幹事長である山田が、首を縦に振らない限り、田母神の公認はありえない。
「慎太郎は、田母神の応援に行かないことを公明党に伝え、伸晃、宏高への公明支持を取り付けた」(前出C)
田母神の応援に行かない以上、慎太郎は都内のほかの次世代候補の応援にも行けなかったようだ。一見すると特定の候補者の応援に行ったように見えない、大きなターミナル駅などで演説をするだけで、自民や公明と競っている地域には入らなかった。この点について、次世代の党は「石原氏の街頭演説は体調を勘案して行いました」と回答するが、慎太郎の選挙中の動きは3年前の日本維新の会のときと同様だった。今回は、都内では唯一、幹事長である山田の箱もの演説会(参加者150名程度)だけ顔を出した。一方、他県の次世代候補の応援は、慎太郎は積極的に行った。これが日本を代表する保守論客の活動実態とすれば残念な話だ。
山田にとって、比例票掘り起こしのために、東京都内の多くの選挙区で候補者を擁立することは必須である。ただし、当選の見込みがない次世代の党からわざわざ立候補する物好きは少なく、擁立作業は困難を極めた。そこで、15年4月の統一地方選挙の党公認立候補予定者数名を、急きょ衆議院候補として擁立する。地方議員を志す人間を無理に国政で働かせるという発想自体、まともな政党の体をなしていない。選挙前から次世代の党は泡沫化していたのだった。