自己実現とは「成長の過程」そのもの

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
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しかし、この「自己実現」は、特に組織経営や人材育成の現場の多くでは、長く誤解されて用いられてきました。

そもそも、「自己実現」とは日本の学者によって訳されたものであり、マズローの原書では、Self-Actualizationと記されています。日本語訳の「実現」という言葉には、「計画や期待などが現実のものになる」という「結果の状態」を指すような性質が強く含まれるため、本来の意図が正確に伝わらなかったのかもしれません。Actualizationをそのまま訳せば「実際のものになること」ですが、真の自己実現とはつまり、社会的な要求や自分の思い込みの理想を現実化することではなく、人間本来の自然で多様な姿、「ありのまま」の状態を体現し続けることです。

「ありのまま」とは、これまたなんともぼんやりとした言葉ですが、マズローの理論を頼れば、それは結果ではなく、「過程そのもの」ということです。マズローやマズロー研究者によれば、自己実現とは、単なる自己中心ではなく、自分の欲やエゴも認めながら、他人の存在や様々な環境、想定外の出来事や変化などを受け容れ、その関わり合いや複雑な日常の体験を通じて、自分の可能性や潜在能力を発揮していこうとする、成長過程そのものだということです。そして、自己実現は、その変化や成長を通じて、社会性や他人の利益をも含んでいくと説明されています。

僕は、従来の欠乏欲求が「コップに水を満たす」ようなものであったとすれば、この自己実現という成長欲求は、「コップから水が溢れでていく」ようなものだと考えています。溢れでた水がどのようなかたちに広がっていくかは、溢れでてみないと分かりません。

しかし、その「行き先不明」の複雑なプロセスの中には、偶然の出会いや想定外の素晴らしい経験、他から溢れでてきた「誰か」との接触、結合が待っています。これこそが、僕たち人間の持っている「多様性」です。そして、溢れでた水同士が結合されれば、どこまでが自分で、どこまでが他人かという境界も曖昧になってきます。自己犠牲などではなく、他者の利益が自分の一部となっていく。

マズローは、成長欲求には、自己実現のさらに上に、「自己超越欲求(コミュニティ発展欲求ともいう)」があるとも説きました。近年のボランティア指向や「シェア」の文化には、もしかするとそれに通じるようなものが含まれているのかもしれません。