2.自分の利益だけでなく皆のためにやっているか
仕事は慈善活動ではありません。利潤追求は企業活動に不可欠ですが、自分の「利」だけを考えるのはいけない。論語の「利によって行えば怨み多し」は、そんな戒めの言葉です。
利とは、自分にとって望ましいもの、都合のいいものを指します。この利を追ってかえって利を失い、好調だったビジネスを暗転させてしまう経営者はとても多いです。
短期的な視点で利益を追う。自社(もしくは自分)のメリットのみ追求し、ほかはどうでもいい。そんな利益第一主義の利己的行動は、一時的に儲けられても、ほかの人はそれを嫌いますから長続きはしません。
では、どうすればいいのか。論語には「義」という言葉がしばしば登場します。義とは、人としての正しい行いという意味。私は、これを世の中のためにふさわしいことと言い換えられると思っています。
冒頭で述べたように、ビジネスは「利」を無視しては成立しません。しかし、本当の利を得ようとすれば「義」の精神を前提とした言動をすべきだと論語は教えてくれます。儲かるか儲からないか、得するか損するかより、正しいか正しくないか、世の中のためになるかを先に考える。
企業活動に即して私流に解釈すれば、この言葉は「顧客第一主義」。自分の都合を優先せず、お客様本位で考え、商品を適正な価格で提供する。そうやって「義」を第一にするからこそ結果としてお客様に喜ばれ、「利」が後からついてくるのです。「利」は「義」の結果です。
ただ、手段として「顧客第一主義」を掲げるのはいただけません。それは偽物です。1枚めくれば利益第一の本性が剥き出しになります。
私が人生の師と仰ぐ、曹洞宗円福寺の住職をされていた藤本幸邦先生は、存命中にお会いするたび「お金を追うな、仕事を追え」とおっしゃいました。また、敬愛するピーター・ドラッカーも『現代の経営』で「利潤動機なる本能的な動機の存在そのものさえ疑わしい」と語っています。
人の為に謀りて忠ならざるか。
朋友と交わりて信ならざらるか。
伝えて習わざるか。
とはいえ、つい日々「数字」に追われるのが現実。そこで、私が講演などでよくお話しするのは、「曾子曰く、吾れ日に吾が身を三省す」という論語のくだり。つまり、自分は人のことを考え努力しなかったのではないか、友人に対し誠実でなかったのではないか、(師より)伝えられたことをよく習熟していなかったのではないかと反省をすることの大切さを伝えた言葉です。「三たび」とは、たびたびという意味。省は「省みる」のほかに「省く」とも読む。日々の自分の行いを反省し、不要な物欲や功名心などを省くことが正しい生き方へとつながり、結果的に「利」をもたらすのです。
※言葉の出典は『論語の活学』(安岡正篤著)
経営コンサルタント
小宮コンサルタンツ代表取締役。1957年生まれ。京都大学法学部卒業後、東京銀行入行。米・ダートマス大学エイモスタック経営大学院でMBAを取得。岡本アソシエイツ取締役などを経て現職。