単に部屋の中で思索にふけるのではなく、外に出て自ら行動を起こすことで人間関係を深く洞察してきた哲人の言葉から真に豊かに生きる術を『超訳 ニーチェの言葉』の著者・白取春彦氏が解き明かす。
3.どうして自分はダメだと決め付けてしまうのか
悪は必ず存在する。なぜならば、わたしたちに自由があるからだ。この自由があるから、同時に悪は存在しえるのだ。
自由がないのならば、そこはたんに平坦な世界であり、善も悪も存在しえないことになる。
しかし今、悪があるからといって、悪いものがあるわけではない。
もし、悪があるというのなら、それはわたしたちの意志なのだ。私たちの意志こそ悪でありえるのだ
ヤスパース
ヤスパースは、ナチス・ドイツを経験したドイツ人の哲学者です。彼はドイツ人ですが、奥さんはユダヤ系だった。
だから当然、厳しい締め付けを食らいました。仕事も失ったし、収容所に送られる寸前まで追い込まれました。奥さんと別れれば、無事に済む。でも別れずに、2人でナチスに抵抗した。とても勇気のある哲学者だと思います。
そのヤスパースの『哲学』という本は非常に難解です。しかし、哲学的な考え方を深めることによって、常識とは異なる物の考え方ができるという哲学の醍醐味を知ることができる本であり、引用した箇所は、まさにそんな一文です。
ふつうは誰もが、悪いものがなければいいのにと思うでしょう。でも、なぜ悪が存在するのかといったら、人間に自由な意志があるからです。人が自分の意志で自由に選択して活動するからこそ、そこに善と悪の区別が生じるわけです。
ということは逆に、自由に行動できなければ、善と悪という区別は存在しないことになってしまいます。みんなロボットのように決められた行動しかできない世界には、善も悪もないのです。だから、悪がなくなればいいと願うのは、自由がなくなればいいと思うのと同じことになります。
ヤスパースはさらに難しいことをいってのけます。「悪があるからといって、悪いものがあるわけではない」と。
これは、何かを悪いと決めつけることはできないということです。なぜなら、善悪とは意志に宿るのであって、個々の人や物に値段シールのように貼り付けられるものではないからです。
たとえば私たちは、自分をダメなやつだとか、落ちこぼれだというふうに責めることがある。でも、そうやって自分の中に悪いところを見つけても、それは決して固定的なものではないということです。
ややもすると、人は悪をシールのように思い込んで、自分や他者に貼り付けてしまいます。結果として、そうやって決め付けることによって、自分や他者が変わる可能性を奪ってしまう。
でも、違うのです。個々の悪いものが存在するのでなく、悪い意志が存在するだけです。だから、ダメな自分も意志次第で変えることができるのです。