山下はもう一つ、池波から大きな刺激を受けている。それは食に注ぐ情熱だ。神田近辺はいうまでもなく、池波が通いつめた蕎麦屋の「まつや」、天ぷらの「山の上」といった老舗が櫛比(しっぴ)し、江戸の庶民の食の楽しみを今に伝える町である。

「『鬼平』には、食のシーンがたくさん出てきます。簡潔な表現なのに、どれもこれも実にうまそうなんです」。山下が最も“そそられた”食の描写はこれ。

五寸四方の蒸籠風の入れ物へ、親指ほどの太さの一本うどんが白蛇のようにとぐろを巻いて盛られたのを、冬はあたため、夏は冷やし、これを箸でちぎりながら、好みによって柚子や摺胡麻、ねぎをあしらった濃目の汁をつけてたべる。(第7巻「掻堀のおけい」115ページ)

これは深川・蛤町にある海福寺門前の豊島屋という茶店の名物という設定だ。

「大阪には蕎麦屋で酒を飲む習慣はありませんが、神田の『かんだやぶそば』や『まつや』で一杯飲む経験をして、ぜひ大阪に持ち帰りたい文化だと思いました」

こうして池波の食への姿勢が、山下のリーシングの発想の基底に据えられた。

「私は正直食に疎くて、ファストフードでも頓着しないタイプでしたが、『鬼平』を読んで、3度の食事を一回一回大切にしたいと思うようになりました。GF大阪に関わることになったときも、地域地域できちっと“本物”を出している店に入ってほしいと強く思いました」

強い責任感、部下に対する熱い思い

2011年からGF大阪の商業プロジェクトリーダーとして直属3名、総勢10名ほどを抱えた山下。広報らを巻き込んだ新しい試みはどんどん部下に任せ、自身は根気よくバックアップに徹した。

ところが、開業直前になっても、行政との折衝が終わらない。

「特に苦労したのは、北館6階のUMEKITA FLOOR。当初は入り口にミラーボールを設置したのですが、これでは踊りを誘発するから、営業は夜12時までにしてくれ、と指導された」

実は、梅田初の“ビル内終夜営業(朝4時まで)”を行う、とのプレス発表が、1月の時点ですでに行われていたのだ。

「青ざめました。行政さんとの解釈の擦り合わせのため、毎週のように通って“こうしたらどうですか”と提案し続けた」

それだけではない。出店を予定していた飲食店のドタキャン、工事の遅れ……。ほんまにできるんか――山下は、幾度となく不安に襲われ、心が折れかけた。そのたびに『鬼平』を引っ張り出し、「リーダーたる者、逃げたらいかんのや」と思い直した。そんな“諦めの悪さ”が実を結び、ショップとレストラン全266店舗はオープンぎりぎりですべて揃った。

「行政の方にもきちっとご理解いただいた。非常にありがたかったですね」