思い切った合理化はいま、やるしかない

昭和シェル石油 香藤繁常会長兼CEO

20世紀最後の数年間は、日本が平成不況に苦しみだした時期だったと思う。と同時に、永続的成長をめざす多くの企業が変革を余儀なくされていく。そして、当社もその例外ではなかった。1996年に特石法廃止により、競争は一層激化。当社は、競合他社に先駆けて徹底した経営改革に取り組むことになる。その年、「ジャンプ21」と名づけた経営変革運動をスタートさせた。私自身も年明け早々、仙台支店から本社に戻り、社内改革に全精力を注ぎこんでいくことになる。

当時、本社はまだ東京・千代田区の霞が関ビルにあり、変革推進本部準備チームは役員室横の小部屋に置かれた。ここに私を含め4人の中堅マネージャークラスが集められたのである。営業、製造・流通、管理、そしてトレーディングなどの分野における“精鋭”といわれた男たちだ。なすべきことは、企業体質強化に向けての社内の効率化、そのための構造的なコスト削減、ポートフォリオの組み替えといった抜本的改革である。

その頃の社内体制はというと、各部門が一種の王国のようになっており、それぞれに担当の取締役がいた。彼らは英国流に「ロード」、つまり領主と呼ばれていたのである。それだけでも、部門における権力者ぶりがわかるだろう。だから、業務については、他部署から一切口を出させることはなかった。しかし我々は、そこに果敢に切り込んでいかなければ、変革など無理だ。ましてや、4人の意見がバラバラでは力も出ない。

そこで、私は、彼らと侃侃諤諤の議論を重ね、部門中心の部分最適を全社主体の全体最適にしていくことを決めた。そして「将来のあるべき姿を想定して現状をどう変えていくか」というアプローチを採用した。当時はまだ石油の需要は伸びていた。だが、当社を取り巻く外部環境は石油の自由化に伴って、間違いなく悪化し、収益も低下してくるだろう。財務的に余力のあるいまなら、思い切った合理化もできると考えた。