これは将棋に限ったことではないかもしれません。たとえば、車を高速道路で猛スピードで走らせると、視野が狭くなり、周りの景色がよく見えなくなりますね。

ITにも似たところがあって、ものごとを素早く処理できますが、途中のプロセスが省かれて見えなくなります。将棋が強くなっていくプロセスは、いかに考えずに指せる手を増やしていくかだといえますが、半面、考えずに省略してきた部分の中に新たな可能性があるということは当然といえば当然。建築物が基礎から築かれていくように、どういうプロセスを経て結果が組み上がってきたのかを知るのはとても大切です。

私たちはアナログで育った世代ですから、基礎や土台のつくり方を見ていますし、大変な労力と時間を使って自身でつくってきているわけです。それはある意味で、私たちの世代の強みかもしれません。

とすれば、今の自分がどういうプロセスでここにいるのかとか、過去の何が今の自分の成果につながっているのか、といったことを再検証してみるのも、今後の自分を考えるうえで有効な勉強の一つになるのではないでしょうか。

コンピュータとプロ棋士の勝敗にあまり意味はない

若手と40代の特質の違いとは別に、話題のコンピュータ将棋について触れましょう。今年、電王戦でプロ棋士が負け越したことについてよく聞かれますが、勝敗そのものにはあまり意味はないと思っています。

コンピュータ将棋は過去の膨大な棋譜をベースとしていて、1秒間に何百万回という計算力は人間には絶対真似できませんが、人間ならばまずこうは指さないという手をしばしば提示します。それはいい換えれば、人間の思考の死角、盲点を突いているわけです。そこを掘り下げることで新しいものが出てくることもあるでしょう。実際、棋界ではすでにそれが起こっています。

そもそも人間同士の対局が、コンピュータ将棋のような指し回しにならないのは、多分に心理的な要素が働いているからです。コンピュータ将棋のように、その瞬間瞬間に対応しているのではなく、互いにこう指したいという大局的な意図が先にあるから、そこに駆け引きの妙味も生まれてくるわけです。

しかし、通常の人間の心理から少し外れた将棋ソフトならこの局面をどう判断し、どんな手を繰り出すのか。そうした突拍子もない一手を、人間的な思考プロセスで再現するにはどうしたらいいか――コンピュータ将棋はそういった“貴重な意見”を提示する存在として、今後の将棋界に影響を及ぼしていくでしょう。