その後、岩本は財務だけではなく広報畑の仕事に従事し、「数字に強い広報マン」として名を売った。五輪メダリストの有森裕子選手のマネジメントを手がけたこともあるし、1999年からは河野栄子社長(当時)の秘書として、戦略立案やスピーチ原稿作成にも携わった。
そして40歳を目前にしたころ、いよいよ自分のキャリアを「棚卸し」し、「やりたいこと」と掛け合わせる作業に着手した。転職活動の末、41歳になった2006年に岩本はリクルートを退職し、株式会社Verticalの財務担当取締役へ就任した。
Verticalは、ニューヨークに本拠を置き、日本の小説や漫画を翻訳出版しているベンチャー企業だ。財務に強く、ニューヨークに強い思い入れがあり、自分で自分の走るレールを敷いていきたいタイプの岩本にとっては、打ってつけの仕事といえる。
岩本には30歳と40歳のときに、自分を見つめ直す機会が訪れた。2度目の40歳でついに足を踏み出したのだが、そのときに岩本の背中を押した出来事がある。01年の同時多発テロである。このときテロリストに破壊されたニューヨークの世界貿易センタービルには、たまたま会議で訪れていた岩本の幼馴染みがいた。
悲しみや怒りとともに、世の無常を強く感じた。「あれ以来、思ったことを思った瞬間にやらなければ、悔いが残るんじゃないかと考えるようになりました」。だからニューヨークは因縁の土地でもある。岩本は何も言わないが、若くして理不尽な死を遂げた友の弔い合戦――そんな思いもあるのかもしれない。(文中敬称略)
(荻野進介=構成 面澤淳市=文(ルポ))