これからはマルチメディアの時代になる

今でこそ2000社程度に減ってしまったが、最盛期には大田区に8000社以上の中小企業があって、マハティールといろいろな会社を見て回った。マレーシアの首相がはるばるお見えになったということで、向こうも懇切丁寧に説明してくれる。ときには社長と意気投合してマハティールが大好物の天丼を一緒に食ったりするのだが、買収話を持ち掛けた途端に社長から「帰ってくれ!」と言われたりしたこともある。

マハティールは高度な技術を持った中小企業をマレーシアにも溢れさせたいと考えていた。工業大臣にでもやらせておけばいいのに自分で現地を視察して、「M&Aで買えるところはないか」と物色した。しかし、M&Aという言葉もなかった時代で、突然、「この会社、幾らで売ってくれる?」と言われても中小企業の経営者も戸惑うばかり。「そこまで言うならマレーシアに行ってやるよ」と意気に感じてくれるのがせいぜいだった。

結局、M&Aはできなかったが、日本の企業誘致には成功して、マレーシアの工業化は進んでいく。しかし、私には大きな課題が見えていた。中国である。当時の中国は「眠れる豚」だったが、これが目覚めたら、小国マレーシアの産業経済など吹き飛ばされてしまう。

「中国が目覚めたときに生き残る方法を考えよう」とマハティールに進言した。93年のことである。「どうすればいいか?」というから、「知的付加価値で食う方向を考えるべきだ。これからはマルチメディアの時代になる。知的産業で一歩先を行っていれば、これから急速に労働集約型産業で台頭してくる中国と同じ領域で競わないで済む」と説明した。

するとマハティールはじっと考えてからこう言った。「おまえの言っていることはとても興味がある。だが、一言も理解できない」

マルチメディアがどういうものか、かなり専門的なことになるので担当者を決めてくれれば、その人に全部説明する、と言っても「俺に説明しろ」ときかない。仕方がないから逐一説明すると、「よくわかった。それをマレーシアで進めるためのプランをつくってくれ」。

こうして私が練り上げて、96年から国家プロジェクトとして発動したのが「マルチメディア・スーパーコリドー(MSC)構想」である。コリドーとは「回廊」のこと。最先端のITインフラで都市を整備しつつ、大胆な規制緩和と優遇措置を行って世界中から企業を呼び込み、国内のICT産業を育成、集積することで、ハイテク国家マレーシアをアジアにおけるICTのハブ(拠点)にしようというプロジェクトだ。この構想を実現する場所がサイバージャヤ、同じコリドー内に首都も移転してプトラジャヤとなった。サイバーという言葉がまだあまり馴染みのない時代に新しい「サイバー法」までつくって本格的に展開した。

MSCに関する私のプレゼンテーションをマハティールはすべて自分で聞いて、その実現を阻む法律があるとわかると担当大臣を呼んで「こういうことができるようにしろ」とトップダウンで指示した。MSCの推進力が25年後を視野に入れた「Vision2020」でトップの強力なリーダーシップにあったことは間違いない。そしてトップ一人に参謀の私一人という直の関係はアジア危機のときに副首相のアヌワール氏が逮捕されるまで変わることはなかった。