日本の鉄鋼業が全盛期を迎えた頃には、通産省は「産業のコメは半導体」と言い出した。これをきっかけにして日本企業の半導体投資が加速し、後発だった日本の半導体産業はあっという間に世界一に駆け上がった。

当時の日本は産業の淘汰を市場経済に委ねるのではなく、通産省が旗を振って構造転換を演出していたのである。

もう一つ、マハティールが興味を持ったのは、日本が内閣府のアンケート調査などで国民生活や消費行動の実情を汲み上げて、「3つのC(カラーテレビ、車、クーラー)」を白書などで広く国民に公表していたことだ。マハティールのような強烈なリーダーは、思い付いた政策をトップダウンで実行に移しやすい。私は、そうではなく、定期的に国民の声を聴き、国民が何を望んでいるかを理解して、それを国家戦略に反映していく仕掛けが必要だと説いた。

私がマハティールというリーダーを素晴らしいと思ったのは、「政治家として何がやりたいのか?」と聞くと「こういうことがやりたい」と明快に答えが返ってくることだ。

あるとき、「貧困をなくしたい」と彼は言った。当時のマレーシアにはニッパヤシで作った家に住んでいる人が5割以上いて、そのほとんどがブミプトラ(サンスクリット語で「土地の子」の意)と呼ばれるマレー人だった。そういう人たちをまともな住宅に住めるようにするのがマハティールの政治目標であり、彼が22年務めた首相の座を降りる頃にはニッパヤシの家で暮らす人はいなくなっていた。「日本の自動車産業にきてほしい」と言われたこともある。自動車産業は日本の工業力の象徴だが、モノづくりの強さの秘密は裾野に広がっている産業インフラ、下請けの中小企業群にある。

「自動車会社にきてもらっても、それだけでは日本の強さを輸入したことにはならない」と諭したら、「連れていけ」と言われて、東京・大田区を案内したこともあった。