戒厳令による「秩序」のほうがマシ

20年ほど折にふれアセアンの取材をしているが、デモや政治的混乱に出会ってもあまり驚くことはない。日本のテレビ画面は、流血の惨事や、軍隊や警察のものものしい警戒ぶりを報道するが、それは「絵」になるからであって、現地に滞在していると、普通の庶民の暮らしや街のたたずまいに大きな変化はない。この7月にもバンコクとその周辺を取材したが、戒厳令下のバンコクの日常は平穏だった。バンコク名物の夜の姫君たちも元気はつらつとしていた。

みな慣れているのである。軍部による戒厳令による政権奪取は、欧米流儀の民主主義には外れているが、現地は「無秩序」より「秩序」のほうがマシだ、といった気分が蔓延している。たしかに、イスラム原理主義などが荒れ狂う中東などと比べると、別天地である。

タイの場合、支持基盤の異なる政党間の対立は根深いが、庶民の間では、「軍人は選挙で選ばれているわけではないから、固定資産税や相続税などを導入し、所得の再配分が可能となり、貧しい人にとって世の中がよくなるのではないか」などという意見すらある。なるほど強権のほうが決定しやすいということか。

このように、遠くから見ているのと、現地で見ているのでは、状況は異なっていることが多い。「グローバル化」などもその典型である。

筆者なども15年前、20年前にインドネシアなどアセアンを歩いていた時は、「本当にこの国に製造業が根づくのだろうか」など思ったりもしたが、マレーシアやタイなどは、今や堂々たる「中進国」の山脈を形成しつつある。その原因は日本から進出した企業を中心とする人材の育成と、技術・技能の移転・向上にある。