純情可憐なフリした本当は悪い女の顔
ただ、多くの方から手紙やメールで応援のメッセージをいただきました。女性は私に対し肯定的でしたが、一方男性からは、「男をあんなふうに謝らせるなんて、許せない」「純情可憐な面(ツラ)の皮の下に、実はこんなに悪い女の顔がある」などと誹謗中傷され、本筋とは違うところであることないことを言われることも多かった。週刊誌にもそうしたことを書かれ、すぐに「塩村叩き」が始まりました。間違った情報で読者は洗脳されてしまうのかなと思うと、恐ろしかったですね。そんな事実がないことを弁護士と確認し、警告書を版元に送って反撃しました。すると、パタッとなくなりました。やはり、女だということで舐められていたんでしょうか。
そうした記事に公益性があるのであればいいのですが、そうではない。それがどれだけ公務に支障をきたすかを、多少は考えてほしかったですね。人を貶めるような、敵対する人たちの戯言を、裏をきちんと取らずそのまま載せるのはいかがなものでしょうか。私が以前『恋のから騒ぎ』というテレビのバラエティー番組に出演していたことも関係しているのかもしれません。
私は短大を出てライターをしていました。その頃、動物愛護団体から猫を引き取ったんです。そうしなければ行政によって殺処分されるということに、非常に衝撃を受けました。政治家の先生方に陳情に行き、動物愛護の活動も始めました。しかし程なくして、できることの限界を感じていたのも事実です。ラジオの放送作家の仕事も始め各界の専門家の方々ともお会いするうちに、社会にはさまざまな問題が存在することに気づいたんです。私の力は小さいかもしれませんが、何とか解決の糸口を見つけられないかと維新政治塾に入ったんです。そこで少しずつ政治への思いが芽生えていきました。政治の世界では、大きな党のほうが解決しやすいことが多いのですが、逆にしがらみも少なくありません。そうであれば女性である私は、少数派であってもしがらみがない政党に入って世の中を変える努力をしたい、そう思うようになったのです。
ですから、猫を引き取ったこととラジオの仕事がなければ、政治家への道はなかったかもしれません(笑)。
芸能界も政治の世界も、どちらも凄い男社会だと感じました。でも、芸能の世界のほうがまだ柔軟性があったと思います。たとえば、芸能界でひどいことがあっても受け流してうまくかわすことができますが、政治家は自分の問題だけではないので、それはできません。今回のセクハラやじも公式の場ですから、笑って終わりにするわけにはいかなかったのです。
女性にはいろいろな生き方があり、子育てもさまざまです。労働人口が減少している中、「女性は家庭にいろ」と言うのなら経済成長は止まってしまいます。高齢化が進み、その負担をどう生み出していくのか。働きたい女性と、働かなければいけない女性がいます。どちらに対しても多様化を認めていかなければ、日本の未来はないと私は考えています。その方向性を見定め、政策を打ち出していくのが議員の役割です。それなのにあんなやじを飛ばしているだけでは、あまりにも残念。わざわざ女の恨みを買いたい理由がわかりません。
先輩の世代の女性たちは、ドリルで岩盤をこじ開けるように頑張って突き進んでいたのです。それがいま過渡期に差しかかっています。私たちは、頑張ってくれた先輩たちの強さを持ちつつ、あとに続く普通の女性が輝いて働ける制度を構築しなければいけない。そのためには、男性にも協力を仰がないといけません。たとえば家事や育児の分担。すべて平等にとは言いませんが、せめて6対4くらいの割合にしたいものです。