本社へ戻り、経営企画部長に就き、今度はグループ会社を管理していたら、フードサービスの業績が悪化、3年で累損が3億5000万円になる。首脳陣に「いま、グループでどこが悪いのか」と尋ねられ、「フードサービスが一番です」と答えたら、そろって自分をみた。数日後、「また、いってくれ」と言われ、再登板となる。47歳になっていた。

いくと、看板の焼鳥に冷凍物を仕入れ、鶏をさばき、ブロック肉を切り分け、串を通す作業はやめていた。人手を減らし、人件費を圧縮するためだ。だが、品質が落ち、食材費は上がっている。効率化は大事だが、手間を省こうという方向にやると、その先は「手抜き」になって、失敗する。お客にもわかり、評価されない。ブロック肉からの作業へと、戻す。

2002年2月2日の午後2時に、東京・赤坂に創作料理店「赤坂うまや」を開く。名前が恒二、誕生日が2日だから「二並び」にしたのだろう。「うまや」は漢字で驛。人や集まる場、荷物を中継ぎする場を意味し、やはり鉄道ゆかりの言葉だ。福岡市に第一店を開き、佐賀県の地鶏やざる豆腐など近隣の特産品を使ってヒット。九州で展開したら、知人に「東京にも出せよ」と勧められた。

赤坂店は一ツ木通りに面し、正面に不動尊の鳥居、右に料理屋、左に古いアパートがあった。わかりにくい場所で、野良猫やゴミ箱が目に入ったが、少し入ると、非日常の世界になった気がした。そんな経験は、それまでにはない。「ここだ」と、即決する。

所有者は市川猿之助さん(現・猿翁)。会うと、木造の階上を踊りの練習場に残し、1階に食事ができる店を入れたい、と言う。ただ、建物が古く、そのままでは使えず、奥に新築した。猿之助さんには、店のコンセプトづくりで、大きな力になってもらう。「営業部長」を自任し、「取材は、この店でしか受けません」と言ってくれ、雑誌やテレビに店の映像が出た。やがてブランドが確立し、いま「うまや」は九州に8店、東京に7店、上海にも3店がある。「成大功者、不謀於衆」(大功を成す者は、衆に謀らず)――大きな成功を遂げる人は、周囲を頼らず、自ら決断するとの意味で、中国・戦国時代の逸話集『戦国策』にある言葉だ。組織の活性化には周りの声を十分に聞く必要もあるが、後は自ら決断せよ、と説く。外食展開でも、後で触れる特急列車の命名でも、多くの人の意見を求めて耳を傾けたうえで、最後は自ら断を下してきた唐池流は、この教えと重なる。