1980年12月、最年少取締役だった宮内氏は、45歳でオリックス社長に就任、乾社長は会長に。写真は宮内氏の社長就任パーティにて。就任後は、トップセールスとして海外を飛び回る。

直近では、リーマンショックも忘れられません。アメリカでサブプライムローンが危ないと言われ始めて、慌てて調べたら、当社のアメリカの現地法人ではサブプライムを一切やっていないとわかりました。ホッと胸を撫で下ろしていたのですが、結局、日本市場にも火がついてしまった。

それでもなんとか切り抜けられたのは、事業を多角化していたからでしょう。全部合わせて収益は8~9割減りましたが、影響が少ない事業があったおかげで赤字にならずにすみました。いずれにしても、こちらに瑕疵がなくても影響は受けてしまう。金融の怖さをいやというほど味わいました。

経営とは離れますが、規制改革へのかかわりも避けて通れない思い出の一つです。90年代からかかわってきましたが、規制改革会議の議長や委員長といってもできるのは政府に提案することだけ。政府が動いてくれなければ改革は進まないわけで、実際、いくら打っても響かなかったという印象しか残っていません。私は会社のことを一切考えずにやってきましたが「オリックスのためにやっている」と批判する人もいました。改革を潰すには、そういう論法が便利なんでしょう。そのせいで会社にも迷惑をかけた。思い出すと、いまでもいい気分はしませんね。

(村上 敬=構成 澁谷高晴=撮影)
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