「チームコンディションが不良だった」

のちに、仰木は周囲に洩らしている。

「試合中止の理由は、グラウンドコンディション不良ではなく、チームコンディション不良だった」

まさに言い得て妙である。

それから2週間後の10月12日。近鉄は西武球場でダブルヘッダーに臨んだ。

第1試合は2回までに0対4とリードされたが、主砲のブライアントが先発の郭から46号、47号、48号と3連発。6対5と逆転勝利。第2試合も、ブライアントが49号を放つなど、打線が大爆発。14対4で大勝。近鉄ファンを狂喜乱舞させた。

優勝が決まった近鉄の勝率は、5割6分8厘。2位オリックスは5割6分7厘。3位西武は5割6分6厘。それぞれに1厘差ずつというプロ野球史に残る激烈な戦いであった。

もし、仰木が9月28日の西武との試合を中止せず、戦って敗れていたら、西武の勝率が上回り、パ・リーグの覇権を握っていたのである。

仰木はのちに自著『燃えて勝つ』に記している。

<問題は28日の4試合目だった。小雨が降っている。この悪天候では、いくら人気のあるカードといっても客足は伸びないだろうという気もした。それ以上に西武に連敗してムードの悪いことが引っ掛かった。観客を呼べそうもないことと自陣の態勢の悪さ。これは絶対に中止してもおかしくない。いや、そうしなければならぬ、と球団にお願いした>

それまでの3試合の観客数は、2万3000人、3万1000人、3万2000人。徐々に増えていただけに、営業サイドからクレームが付いたが、あえて仰木が押し切ったのだという。

新聞には、

「2億円興行を捨てた」

と叩かれた。

球団内部からも批判の声が少なくなかったが、最終戦のダイエー戦に3万2000人の観客を集め、5対2で勝って優勝を決め、借りを返している。

<あれは確かにひとつの賭けであったが、わずか1厘差での優勝を思うと、とてつもなく大きな意味を持つ中止だった。逃げた、とこき下ろされようが、ずるいと酷評されようが、勝負には打たなければならないという手もあるということだ>

一方、西武監督の森は、わたしにこう悔しさを滲ませている。

「勝算があった。前年度も近鉄とのマッチレースだったが、そのときより日程面でゆとりがあった。なにより、終盤に入り、渡辺久信と郭が絶好調で、負ける気がしなかった。残り試合を逆算し、この年ほどペナントを握れると確信した年もなかったといっていい。得てして、そういうときほど落とし穴があるものなのだ」