勝負強い監督、接戦に弱い監督……、監督の発想は、すべて現役時代のポジションから湧き出ている。歴代監督をポジション別に徹底分析する。
日本ハムをチャンピョンにする目標
ことしの2月、ヤンキースが春季キャンプ(アメリカでは「スプリングトレーニング」と呼ぶ)を張るフロリダ州タンパのスタインブレナー・フィールドで、青い目のアメリカ人に会い、「グッド・モーニング」と挨拶すると、「オ・ハ・ヨ・ウ」という日本語が返ってきた。
びっくりして振り向くと、かつて日本ハムで監督を務め、日本一を成し遂げたトレイ・ヒルマンであった。
ヒルマンは日本時代、流行語大賞にもノミネートされた「シンジラレナ~イ」という言葉をお立ち台でしばしば発し、ファンの喝采を浴びている。
彼がヤンキースで「育成担当特別補佐」を務めていることは聞いていたが、クラブハウス内の薄暗い通路で擦れ違うと、さすがに驚きを禁じ得なかった。
彼だと気づいたとき、すぐに反応しなかったことを、わたしは後悔した。こう切り返すべきだった。
「シンジラレナ~イ」
ヒルマンは1963年1月4日、アメリカ南部、メキシコと国境を接したテキサス州で生まれている。テキサス大学アーリントン校を卒業後、クリーブランド・インディアンスに入団したが、3年間マイナー暮らしがつづいた。ポジションは外野手であった。選手としては大成できなかったが、指導者に転じて頭角を現す。
アメリカのベースボールは、日本のプロ野球とちがい、ピラミッド型の巨大組織である。頂点はむろんメジャーリーグだが、その下に3A、2A、1A、ルーキーリーグがあり、下に行けば行くほど多くのチームと選手がひしめいている。
ヒルマンは1989年、ヤンキースとマイナーのコーチ契約を結び、90年には1Aのオネオンタ・ヤンキースの監督に昇格。52勝26敗の好成績で1位になり、フロリダ・ステートリーグ最優秀監督に選ばれた。
2Aを経て、99年からはヤンキース傘下の3Aコロンバス・クリッパーズの監督になり、83勝58敗で再び1位。今度はベースボール・アメリカの最有望監督賞を受ける。そうしたマイナーでの実績を日本ハムから評価され、海を渡ることになのである。
日本ハムをチャンピオンにする目標を立て、日本にやってきたヒルマンだったが、「ベースボール」と「野球」の違いを痛感する。