一方の「戒名」は仏教徒としての名前であり、受戒し、「仏教の戒律を守って生きていく」と誓いを立てた証しとして、師から授与されるもの。本来なら生前、仏門に入った際にいただくもので、亡くなってから“故人専用の名前”として大金を納めて「買う」といった感覚自体が、本意からはズレてしまっているのだ。加えて、「教師資格」以上を有し、その位にある僧侶より授けられるのであり、自身で勝手につけられる性質のものでもない。

立派な戒名が故人への餞(はなむけ)、あるいは死後の免罪符のように捉えられて一部で商品化が進んだ結果、現下では本来の意味と意義から乖離してしまった感は否めない。仏教徒としての信心も踏まえて、戒名が本当に必要かどうか、本人の意向も交えて考え直す余地はあるだろう。

迷うようなら俗名のままで葬儀をすませ、必要なら納骨の際など、後からつけてもらうこともできる。中には同宗派の戒名が必要となる納骨先もあるので、最終的に“どこへ葬るか”も視野に入れて一考すべきだ。