ともに悩み、子どもと大人の境界をなくす

企画当初、ネットメディアで話題が沸騰し、誹謗中傷などが色々と飛び交ったことについては、彼女たちも相当悩んでいました。それまでは「視る」だけだったネットメディアの世界に、突如として自分たちが主役として登場してしまったわけです。困惑するのも無理はありません。

ある時、彼女たちの活動を日常的にサポートする市役所職員の横井さんから、「彼女たちがネットでの反応に戸惑い悩んでいるのですが、何と声をかけたらいいでしょうか」と相談がありました。僕はこうお願いしました。「『困ったね……』と言って、一緒に悩んでください」。横井さんはそれをそのまま実践してくれました。後で聞いてみると、彼女たちはこう思ったそうです。「大人たちにも分からないことはあるし、同じように悩むこともあるんだ……。自分たちで考えるしかないんだな」と。

大人が子どもに「分からない」「悩んでいる」と言ってしまうことは、信頼を失うことになるのではないかと心配する方もいるようです。僕はまったく逆だと思っています。大人が自分たちの不完全さを素直に開示するからこそ、信頼を得られるのです。まさに、信じてもらい、頼ってもらえる。もちろん、「答え」は大人たちにも分かりません。

その後彼女たちが自ら導き出した「答え」は、「ネットでの批判に対して、自分たちが反論したり不満を言ったりすることはやめよう。それよりも前向きなエネルギーに変えて、自分たちが頑張ればいいんだ」というものでした。これからの「行動で示そう」と、彼女たち自身が話し合って決めたのです。「大人が子どもをちゃんと導いてあげなくては」などというのは、大人の思いあがりでしかありません。

記者会見では、ある女子高生がこんなことを言っていました。「大人は私たちを、子どもなのか大人なのか、どちらかに分けようとする。確かに私たちには学費など経済的な援助が必要な面もあるけれども、一方で真剣に考えていることもあるし、一人前に扱ってほしいこともある。この活動を通じて、大人か子どもかといった境界をなくしていきたい」。

何もかもが激しく変化する時代、僕たち一人ひとりと社会との関わり方や役割は今後大きく見直されるべきだと思います。重要なことは、いかに向き合い、いかに正直に関わり合うかということです。今回、女子高生たちの覚悟と変化に多くの大人たちが励まされ、それぞれに何かが変わり始めました。

女子高生たちが大人たちを育て、一緒にまちを面白くしていく。それがどんな結果になるのかは、まだ分かりません。いや、分かっちゃいけないのです。分かろうとしてもいけない。「彼女たちと一緒に悩み、一緒に楽しむ」。ただそれだけのことが、何より大切なのです。そして、自ら一歩を踏み出し、試行錯誤の先陣をきってくれた女子高生たちに、心から感謝したいと思います。

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