谷繁は25年間の捕手生活で、11人の監督に仕えた。大洋・横浜時代は、古葉竹識、須藤豊、江尻亮、近藤昭仁、大矢明彦、権藤博、森祇晶。中日移籍後は、山田久志、落合博満、高木守道。彼らの中で、いちばん共感を覚えた監督は誰なのか。

「年齢と共に感じ方が変わってくるので、いちがいにはいえません。最初の古葉さんは、子供をあやすような感じ。きついことは一切いわず、かわいがってくれた。須藤さんは、ぼくを一人前の捕手にしようと、ミーティングでいろんなことを教えてくれた。バッテリーコーチの佐野(元国)さんや高浦(己佐緒)さんには、フットワークをはじめ、いろんなことを教わった。江尻さんは、ぼくがパッとしなかったので、代理監督になったとき、使ってくれなかった。須藤さんから江尻さんに代わり、このままだとクビになると思い、必死に練習しました」

捕手・谷繁のいちばんの師匠は、大矢だったといっていい。「近藤さんが監督になり、大矢さんがバッテリーコーチに就任。配球、フットワーク、捕球。ポーカーフェイスで徹底的にしごかれました。まさに“鬼コーチ”でしたね。次は権藤さん。ピッチャーの視点で、こういう野球もあるんだなと学んだ。2年目に初めて日本一になり、捕手として、やっと認められたという気持ちでした」

谷繁は97年オフにFA権を取得。他球団への移籍が噂されたが、残留した。2度目のFAになった01年オフには、メジャー移籍をめざし、マリナーズなどのテストを受けたが、条件が折り合わず、断念。中日に移籍した。

「04年に落合さんと出会ったんですが、そんなにのんびりしていていいのかと言われ、戦いが始まりました。ちょっとしたことで代えられたり、使ってもらえなかったり。どうやったら出られるかを考えた末、自分が出たときの勝率を上げれば使わざるをえなくなるという結論が出た。勝てば試合に出られる。じゃ、勝つためにはどうするか。そのくり返しだった」

落合とは、監督と正捕手という関係が8年もつづいた。その落合がGMになり、やりやすさとやりにくさの両面があるのではないか。

「やりにくいと見られるのがやりにくいんですよ(笑)。メディアから判で押したように同じ質問をされ、それを答える自分がイヤなんです。監督とGM。職域はグラウンドの中と外というちがいがある。関係ないですよ」